65歳で病気で急死した夫の死後の手続きに追われて、「精根尽き果てた……」と嘆くのは都内に住むA子さん(58歳)。
家族葬とはいえ、葬儀代や戒名料、僧侶へのお布施、お墓の費用など想定外の出費がかさみ、それらを夫の銀行口座から引き出して支払っていたが、思わぬ“落とし穴”にはまってしまったという。
「夫は個人事業主でしたが、事業の借入金がかなりあることが亡くなった後にわかりました。その借金を私が背負うことになってしまったのです」(A子さん)
どういうことか? 相続に詳しい山本宏税理士事務所代表の山本宏さんは次のように解説する。
「被相続人(亡くなった人)の財産を、配偶者(夫や妻)や子どもなど遺された家族に引き継ぐことを相続といいます。相続財産には、住宅や現金など“プラスの財産”だけでなく、カードローンや金融機関からの借り入れを含めた“マイナスの財産”も含まれるのです。
亡くなった人に多額の借金があった場合は、プラスの財産も含めて相続対象の財産をすべて放棄する『相続放棄』という手段を取ることもできます。
しかし、A子さんのように、葬儀費用を亡くなった人のお金で支払ってしまうと、亡くなった人の権利・義務のすべてを受け継ぐ『単純承認』の意思表示をしたということになり、相続放棄ができなくなってしまうのです」
近年、相続放棄を選ぶ人の数は増えている。司法統計年報によると、全国の家庭裁判所で受理された相続放棄の件数は、’22年に約26万件。’95年の約4.2倍で、過去最高となっているのだ。
「相続放棄は“自分が相続人であることを知ったとき”から原則3カ月以内に家庭裁判所へ申し立てをしなければなりません。戸籍謄本など必要書類の収集、相続放棄申述書の作成をして提出します。
一度手続きをすると取り消しはできないため、正しく理解したうえで手続きを行う必要があります。書類に不備があると申述が認められないケースもあるので、司法書士などの専門家に依頼すると、戸籍謄本の収集や書類の作成を代行してくれます」(山本さん、以下同)
冒頭のA子さんのように、夫に借金があることを知らずに、夫名義の銀行口座が凍結される前に、お金を引き出してしまおうと考える人も多いだろう。亡くなった時点で預貯金は遺産となり、遺産分割の対象となる。
故人の口座からお金を引き出したい場合は、家庭裁判所へ預貯金債権の仮分割の仮処分申請や、銀行窓口で手続きをして引き出す預貯金の「仮払い制度」がある。銀行に連絡をせずに引き出してしまうと、相続を単純承認したとみなされることがある。
「相続人がすでに故人の連帯保証人になっていたら、相続放棄をした場合でも相続人がすべて負担する必要があります。ただし、故人が誰かの連帯保証人になっていた場合は、相続放棄をすることで連帯保証人になることを免れることができます。
借金のある人や連帯保証人になっている人が亡くなった場合は、むやみに財産に手をつけることは避けたほうがいいでしょう」
さらに、故人の財産を名義変更するなど勝手に処分すると、財産放棄できなくなる。
「たとえば個人の資産である自動車の名義変更をすると、相続の『単純承認』の意思表示をしたことになります。ほかに形見分けで時計や宝飾品など財産価値があるものを受け取ってしまうと、財産放棄を申し出たときに問題になるケースがあります」
“まさか自分のうちは”という慢心はくれぐれも禁物だ。