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1月某日 中央アジア上空

日本とヨーロッパを結ぶ航空路は、現在そのほとんどがロシア上空を通過するものですが、私が頻繁に利用している成田―ヴェネチア直行便のフライトは、東ヨーロッパからロシア南部、広大な中国大陸の上を飛んで、他の航空機よりも2時間多くの時間を費やす形で目的地に辿り着きます。

モニターに映し出される飛行機の現在通過地点を目で追っていると、時には不自然に曲がりくねったルートを取って、ウクライナや中東の紛争地帯の上空通過を避けているのが判りますが、空の上という何の境界線もない大気圏ですら、辺境というものが存在するのが、なんとも不思議に思えてきます。

人間は地上にいようと海にいようと空にいようと、動物や魚や鳥たちと違って、自分たちが生きていくために規制された居場所というのを意識していかねばならない、面倒臭い生き物なのです。

今、まさにそのヴェネチア行きの飛行機でこの文章を書いていますが、現在地はちょうどウズベキスタンからトゥルクメニスタンにさしかかった上空です。これからイラン国境すれすれ、カスピ海の南を通ってトルコへと入っていくわけですが、そのすぐ真南にはかつて私も暮らしたシリアがあります。

ここから見下ろすその一帯は、イスラム教という宗教を信仰する人々が暮らしている地域です。このルートの興味深いのは、最終目的地がヴェネチアという、歴史上でも欧州の中でも最もイスラムなど東側の異文化圏との接触の多かった都市へ向かっていることであり、それはマルコ・ポーロという商人冒険家の辿った、シルクロードを彷彿とさせるところでしょう。

シルクロードという名称に、我々はちょっとした、自分たちの日常と切り離されたエキゾティックなロマンを覚えますが、この飛行機の曲がりくねったルートからも判断できるように、実際それらの文化圏とかかわりを持つというのは容易なことではありません。それはマルコ・ポーロの時代だって同じだったはずです。

私も世界の様々な国に暮らしたり旅をしてきましたが、それぞれの国に足を踏み入れた時点で、まず最初に肝に命ずるのは、自分たちがその土地にとっては基本的に縁もゆかりもない、歴然とした異邦人ではあっても、彼らの生活習慣にはなるべく馴染むこと、自分たちの尺度での解釈ではなく、彼らの単位でも物事を見る術を得る、ということです。

それらの土地の人々が、異文化圏の出身である私に対して自分たちの地域の生活習慣や宗教への適応を、強制してくるようなことはありません。だからこそ、こちらも彼らの生き方や、彼らの信仰する宗教に対してそれなりの敬意を持つのは、最低限度大切なことだと思うのです。

マルコ・ポーロがシルクロードを歩いたときも、彼はどんな辺境もスムーズに乗り越えて行けるよう、自らの無害性やフレキシビリティ、そして寛容さというのを意識し、そして顕示し続けていたのではないかと思います。「自分は国家や宗教の強制的統一化を目論んだ侵入者とは違うのだ」というアプローチはたくさんの国を通過するうえでは、とても大切だったに違いありません。

 

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