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11月某日 東京

ここのところ、テレビをつけてもSNSの書込みを覗いてみても、気持ちを落ち込ませる物騒な出来事や嫌な事件ばかりで、どうにもやりきれません。漫画やこのようなエッセイの案を練っている最中も、思考が負のエネルギーに引き寄せられがちになって、いまひとつ楽しい気持ちになりにくくなっていたのですが、そんな中、仕事の合間に有楽町で落語を見てまいりました。

誘ってくれたのは合作の相棒であるとり・みきさんですが、彼はもともと明治大学の落研にも所属していた事もある落語愛好家です。私が日本へ来日するたびに、何か面白い公演があれば声をかけて下さるのですが、今回の立川談志さんの命日に行われている特別講演は、談春さんなど立川流一門の数名が出演するもので、数ヶ月前にダークな噺ばかり集めた独演会で楽しませて頂いた談修さんや、とりさんの落研の先輩である談之助さん、そして大御所談春さんといったメンツの楽しい噺に、お陰様で見終わった後は体の中に滞っていた血の流れもさらっさらになった心地がいたしました。

今回の一門会もそうでしたが、立川流の皆さんはなんていうか、アヴァンギャルドでズバズバと物怖じしないエネルギッシュなパワーがあり、日本にいる間はイタリアのような密度の濃いコミュニケーション不足になるからなのか、彼らの口からこぼれ出す毒でも蜜でも躊躇のないセリフを聴いているとスカッとするものがあります。

毎日誰かと自分の意見を交わす事が暮らしの軸になっているような国で長年暮らしていると、自分の意見に耳を貸してもらうためには、気合いの入ったコミュニケーション術が自然と身に付きます。でも日本のようなおしゃべりや思った事を全て口にするのが美徳とされない国では、私のような勢い余った喋り方は浮いてしまいますし、周りからもちょっと驚かれてしまうので、なるべく大声で捲し立てたり、相手の言葉が終わる前に自分の言葉を重ねたりするような事がないよう気を使って過ごすようにしています。パワフルでパンチの効いた噺屋さんたちの容赦のない巧みな話術を間近に見ていてホッとするのは、おそらくそのせいかもしれません。

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表現や話し方の技法が巧みであれば、どんなにきつい言葉であっても粋なものに

私の周りのイタリア人たちの話術は、例え話題が深刻な社会問題であろうと、事件ネタであろうと、どんなにくだらない内容のものでも、関西の人たちのように自分たちの発言の中に必ずなにか捻りや歪曲したレトリックを盛り込んでオチを付け、相手を笑わせたり吹き出させたりするのが当たり前のものになっています。別に競い合う意識があるわけじゃないのに、面白い表現の言葉や言い回しを瞬時に生み出し、そしてそれに煽動された誰かがまた刺激的な表現で言葉を返す。彼らはあのやりとりの感覚が心地良いのかもしれません。

今回聴いた噺の中でも頻繁に世論や人の悪口がぽろぽろこぼれ出てきていましたが、ああいった毒気のある言葉もまた、日本での日常の会話で私がどうも物足りなさを感じているものの一つかもしれません。イタリア人は基本、人のうわさ話や人の分析が大好きです。親しい間柄になればなるほど、あれは良いやつだ悪いやつだ、美人だ不細工だ、などといった強烈で失礼極まりない談判をじゃんじゃん会話の中に挟み込む人も少なくありませんが、時にはうわさ話に留まらず、「お前っていつも思ってたけど、本当にアホだよな」と、思った事を平気で面と向かって口にする人もいます。

もちろんその場の雰囲気は悪くはなりますが、なぜだが風通しがいい。そして言われた側が情動に巻かれぬ上手い言葉でそれを受けると、周りの人も感心した様子になって、不穏めいた空気は取り払われる。ああいう感情は内面に芽生えてきてしまうものを礼儀で無理矢理押さえ込んで発酵させてしまうよりも、外にスカッと出してしまった方がいいものなのかもしれません。表現や話し方の技法が巧みであればあるほど、どんなにきつい言葉であっても粋なものに感じられてしまう場合もあるのです。

今回の公演でも、強烈な内容の噺を聴きながらゲラゲラ笑っている周りのお客さんの顔ぶれを見ると、皆わりと普段真っ当に暮らしていそうな、高年齢の方たちが殆どですが、多分彼らはそういった辛辣でしかも可笑しい世論や門下同士の容赦ない貶し合いを聴いて大笑いすることで、普段の暮らしで体内に溜まってしまう言語化できない毒素を浄化しているのかもしれません。

落語は日本の伝統芸能の中でも、もっとも外国人に紹介し難いものの一つだと私はとらえていますが、上手く翻訳することが可能であれば(まあこれが一番の難問なのですが)、クオリティの高い話術をリスペクトするイタリア人みたいな人種にはウケること間違い無しだと思いますし、同時に落語というものを通じて、世間一般には“おとなしくてお行儀が良い人種”という印象だけを与えがちな日本人の、知られざる側面も垣間見えてくるんじゃないかなという風にも思います。

言葉というツールだけで、一生ものの笑いと涙と感慨深さを人々に与えることが叶う究極のミニマルエンターテイメント「落語」。聴くのも大好きですけど……、人生やりなおせるなら、自分は女性だけど……、ちょっとやってみたい……。

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