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3月某日 北イタリア・パドヴァ

世界におけるステレオタイプな日本人のイメージといえばたいてい『勤勉で真面目』。多くの日系人が暮らすブラジルでも、欧州からの移民に混じってやってきた日本人たちの、忍耐強くこつこつと明るい未来を夢見て頑張る健気な労働姿勢は、今もその末裔である日系ブラジル人たちへの評価に結びついています。

私が現在暮らすヨーロッパでも、留学などで賃貸の住宅を借りる場合、日本人というのは圧倒的に優遇されます。フィレンツェで不動産をやっている友人曰く、「アメリカ人はしょっちゅう家に友達を大勢呼び込んでパーティーだのどんちゃん騒ぎをするし、その他の国の人でも家を綺麗に使ってくれない。でも日本人はきちんと周りに迷惑にならないよう、いつも気を配ってくれる」からなのだそうですが、そういった日本人の几帳面さはひとえに、日本の教育態勢と世間体への意識が築き上げた一種のモラルの賜物と言えるでしょう。

列があれば横入りなどせずにきちんと並ぶし、電車の中で携帯電話で大声で通話をしたりすることもない。ゴミも捨てる場所が無ければしっかり持ち帰る。世界がどれだけ広いと言っても、ここまで人様に迷惑になるまいと常に意識できる人種は他にいないと思います。

私がちょうど留学を始めた1980年代の後半、やっと一般のイタリア人にとって〝同じ東洋でも日本と中国は別の国〟と認識してもらえるようになりつつあったあの頃、日本における会社員などの『過労死』という社会問題がこちらでも話題に上るようになりました。日本人は勤勉過ぎるだけでなく、周りにも気を使うから上司が家に帰るまでは他の社員もなかなか帰宅できないとか、時には朝まで働きづくめ、とか、有給があっても他の社員が取れていないのに自分だけ得するわけにいかないと我慢しているとか、年間の休みが欧州に比べてどれだけ少ないかだとか、要は単純に真面目で勤勉で働き者という印象が、少しずつに異常なものとして捉えられていくようになっていったのです。

だいぶ後になってからのことですが、イタリア人の平均年齢65歳のオバさん11人を引き連れて日本を旅したとき、新宿の都庁のそばでいきなり「ここでコーヒー飲んで行く!」と全員が勝手に喫茶室ルノアールに入って行ってしまったことがありました。そのオバさんたちが目の当たりにしたのは、ソファに崩れるようにしてもたれかかり、居眠りをしている中年の疲れた会社員たちの姿だったのです。

その旅行に同行していた当時カメラマン志望だった義理の妹は、すかさずそういった喫茶店の有様をカメラに納め、帰国後に開かれた彼女の個展の作品の中には、そこで撮影された、口を開けたまま、干物のような様子で椅子から半分ずりおち状態で寝惚けている、疲れた哀れな中年サラリーマンが被写体となったものがありました。ちなみにタイトルは『KAROUSHI』でした。

週末はしっかり休み、景気が今程悪くなかったときには夏には一カ月の休みをとってバカンスへ行き、お昼はご飯を食べた後の昼寝すら許され、就労時間も会社員であれば6時にはきっちり帰る、という暮らしのサイクルを保っているイタリア人たちにとって、日本人の働き方は異常と捉えられてしまうのです。

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休息尊重型の生き方を実践したいと思う気持ちが、私にだって無い訳ではありませんんが……

私は漫画家というこの世に数ある沢山の職業の中でも、時間的にもプレッシャー的にも最もハードだと思われる仕事を選んでやっています。漫画家も機械ではありませんから、次から次へとじゃんじゃん作品を排出することは叶いません。創作業は、スケジュールなんてものに縛られることは基本無理な職種なはずなのです。それが、週刊や月刊の漫画誌などで連載をしなければならない、となると無論作家はパワー最大出力で締め切りに間に合わせる為に、ご飯もろくに食べず風呂にも入らず眠りもせずに作業をし続けることになります。

正直、日本の雑誌に連載を持っている漫画家というものは、イタリア人みたいな国民にとっては世界で最も理解のできない、最も非人道的な、最もどうかしてる就労者と言えるのです。

イタリアという国でイタリア人の家族を持ちながら漫画連載を持つ、というのはある意味、向こう見ずなチャレンジャーだと言えるかもしれません。一体、今までに何回、夫と漫画が理由で別れる別れないの騒ぎを展開したことでしょう。夫の母親からは日に何度も電話が来て「あんた、また漫画描いてないだろうね!?」と念を押される始末。私も諦めませんでしたから、今は彼らも以前に比べて干渉をしてこなくなりましたが、内心ではまだ納得はいっていないようです。

先日、イタリア南部のナポリのそばにあるカゼルタというスター・ウォーズのロケにも使われた宮殿博物館で、とある問題が発生しました。イタリアの地方都市にある観光名所をもっと盛り上げようという文化省の企画で選出されたスーパーディレクターとして、北部からマルコ・フェッレーリさんという60代の男性がこの宮殿博物館に派遣されてきました。フェッレーリさんは本当にイタリア人には珍しく仕事熱心であり、しかも単身赴任ということもあって、家に居ても淋しいからと、お昼時間も他の職員のように家に帰ったりもせず、深夜まで事務所に残って働き続ける日が少なくありませんでしたし、週末も休む事はありませんでした。しかし、その館長の働き方が「違法」であると、地元の労働組合の3団体が文化省に抗議文を提出したのです。

フェッレーリさんはその抗議文提出を「こんなにこの街のために頑張っているのに、侮辱だ!」と反論しつつも、結局今もカゼルタには残って仕事を続けているそうです。この記事を読んだとき、私は思わずこのフェッレーリさんに深い同情の気持ちを抱かずにはいられませんでした。

イタリアは未だに南部と北部では大きな経済的地域格差がありますが、ただでさえ人間にとっての休みを尊重するイタリアという国の中でも、「人生なんてなるようになる」的なのんびりさのある南部の人たちは、休みに対して容赦がないのです。

人生一度きり、働くよりも個人のための時間が優先順位という、この休息尊重型の生き方を実践したいと思う気持ちが私にだって無い訳ではありません。いえ、むしろすぐにでもそうしたいくらいです。だってお婆さんになってからも締め切りが怖くてびくびくしながら生きていくのは辛いに決まってますからね。

漫画も描きたいけど、できればイタリア人に怒られない暮らしもしたい。そんな事を思いながら私は今日も旦那が寝静まった後に、こそこそ漫画を描き続けているわけですが、もしここが南イタリアだったら、私も紛れもなく労働組合に目をつけられていた事でしょう……。

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