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《先祖は武田信玄の末裔です(本当)》。これは、甘利明前経済財政担当相(66歳)のHP上にある紹介文だ。先祖が信玄(晴信)の末裔ということは、信玄が甘利氏の「ご先祖」。ただ、実際には《信玄の親戚であり、重臣No.2・甘利虎秦が我が先祖です》(同HPより)。

 

わかりにくい説明だが、武田家と甘利家は、甲斐武田家始祖の武田信義につながっているのだ。では、甘利氏が「重臣No.2」と誇る甘利虎秦とはどんな人物か?歴史研究家で文教大学付属高校の河合敦先生が解説する。

 

「武田信虎、信玄の二代に仕えた侍大将です。合戦ではつねに先陣を務めた剛の者と知られ、甘利隊の出撃を知った敵は敗走するというエピソードもありました」

 

明氏の父・正氏は、甘利虎秦を彷彿とさせる人物だった。正氏をよく知る徳間和男元厚木市議(80歳)が語る。

 

「親分肌で面倒見がよくてね。いちど近づくと“甘利家”の一員として見てくれる。わたしの選挙でも運動靴を履いて一軒一軒お願いしてくれてね。親子みたいで離れなれなくなっちゃう」

 

正氏は、神奈川県議を5期。県議会議長も務め、地元を走る国道129号は「甘利道路」と呼ばれた実力者。明氏は、政治家の父の背中を見て育った。高校は地元の名門・県立厚木高校に進学。「派手なことは好まない。おとなしかった」(高校の同級生)と、虎秦の子孫とは思えない印象の薄さだった。大学は慶應に進学。

 

そしてソニー入社後の2年目、札幌営業所にいたときに、突然、転機がやってきた。正氏からの「手伝ってくれないか」という電話に退職を決意。秘書として父を支える道を選んだのだ。

 

「正さんは、自民党で出馬した衆院選で2度、落選してね。旧神奈川3区は河野洋平氏ら強力な候補が4人いて、正さんが入り込む余地はなかった」(同)

 

戦国時代さながらの激戦区。3度目は、妻・千代子さんの地元・大和市を地盤に新自由クラブから出馬した。

 

「新自由クラブブームもあり2期当選。正さんが偉かったのは、まだ続けられたのに、早めに息子の明さんに地盤を譲ったこと。だから明さんが出世できた」(同)

 

父と母の地盤を引き継いだ明氏は、以降、連続11回当選。安倍晋三首相(61歳)の「重臣」に上りつめたのだった。虎秦の最後は、「信玄も傷を負うほどの激烈な白兵戦のなか、信玄を守ろうと討ち死にした」(前出・河合先生)。一方、安倍首相を支えた重臣でありながら、主君に迷惑をかけての討ち死にした甘利氏。

 

「甘利氏は、永田町内での人望がなく、ポスト安倍政権になっても起用される可能性はゼロ。急速に政治力を失うのでは」(自民党関係者)

 

二代で築いた「政治家業」を失うか。虎秦のみならず、信玄公も草葉の陰で泣いている。

 

(FLASH 2016年2月16日号)