昨年12月の大統領選で選出されたパク・クネ女史(61)。両親ともに暗殺されるという壮絶な体験をしながら、後を継ぐように政治の道へ進んだ彼女は「特権意識を持ってはならない」という母のしつけの元に育ったという。

 

父のパク・チョンヒは貧農の6男2女の末っ子、母のユク・ヨンスは富豪の二女。その2人の間に生まれたのがクネだ。1961年5月16日、軍人だった父はクーデターによって全権を掌握。一家はソウル市の下町、トッポギ発祥の町として知られている新堂洞の家に住んでいたが、父が権力の階段を上るにつれ、広い庭のある議長公館で暮らすようになった。

 

しかし、一家は以前と同じ暮らしを続けた。母には倹約生活が染みついていて、父がはいた軍服のズボンの裾をつめて娘にはかせるような暮らしぶりは変わらなかった。「特権意識を持ってはならない」という母のしつけは徹底していた。

 

クーデターから2年後の1963年10月、父は大統領に就任。一家は青瓦台(大統領官邸)に移った。しかし「いつか新堂洞の家に帰る日がきます。青瓦台に住むからといって優越感を持ってはいけません。ここは借りて住んでいるだけです」と母は子どもたちを、ことあるごとに諭したという。

 

「お母さんの、一般学生と同じように扱ってほしい、という強い希望で」(キム・ジェスク修道女)中学も、SPの警護どころか電車通学。大学で電子工学を学んだクネは、フランスに留学する。

 

悲劇はその半年後に起きた。1974年8月15日、国立中央劇場で演説を始めた父・パク大統領に向けて銃弾が発射された。父は無事だったが、後方の貴賓席に座っていた母が崩れるように倒れ込んだ。銃弾は頭部を貫通し、手術のかいなく死亡。クネは22歳の若さで学業を断念し、ファーストレディとしての役目を果たそうと決意する。

 

母の死から5年後、再び悲劇が襲い掛かる。1979年10月26日夜、キム・ジェギュ中央情報部部長の発射した銃弾によって、パク大統領が暗殺されたのだ……。

 

『韓国初の女性大統領』の著者カン・ヨンシクさんは言う。「彼女には父親譲りのカリスマ的リーダーシップがあり、人の心に訴える誠実さは母親から受け継いだものだと思います。それが国民にも理解されて、圧倒的不利がささやかれていた選挙でも勝利できたのだと思います」

 

凶弾に倒れ、病院に運び込まれた母の下着を見て看護師は泣いたという。縫いつないだ粗末な下着を身に着けてたからだ。最後まで国民と痛みを分かち合い、ともに歩くことを命がけで教えてくれた母。万感の思いを秘めて、2月25日、パク・クネは第18代大統領に就任する。

関連カテゴリー: