「店の名付け親は竹鶴さんなんですよ」と言うのは「あゆ見荘」2代目社長の佐藤幹男さん(73)。果樹農家だった父親の故・友一さんが、竹鶴政孝のアユ釣りの案内人だったことから、1960年の創業時に、店名をつけてもらったという。いまも、政孝が篆書体で揮毫した、木製の看板が残っている。

 

「私が中学生のころ、竹鶴さんのお宅はうちのすぐ近所でした。戦後間もない田舎町ですからね、自転車で横を通るたびに『スゴい豪邸だな、一度でいいからお邪魔してみたい』と、そう思ったもんです」

 

アユを釣るのも食べるのも好きだった政孝。食事会や接待に「あゆ見荘」をよく利用した。ある接待の席では、こんな趣向を凝らしたという。

 

「販促用なのか、ニッカにタライみたいに大きなブランデーグラスがあったんだね。それを食卓に置いて、余市川の水を注いで生きたままのアユを泳がせてね。そして、お客さんに説明するんだ。『アユがすめる清流があるからこそ、わがニッカウヰスキーの豊潤さが生まれるんです』と。聞いてた私も、感動しましたよ」

 

全国の工場長を集めた会議のあとの食事会でも「いい酒、本物の酒を造るためには、いいものを食べろ」と話していたという政孝。そんなときも、食卓には余市川のアユが並んでいた。ところで、少年時代の佐藤さんの夢は叶ったのだろうか。

 

「父親が亡くなって間もなくだったから、私はまだ30代半ばだった。料理の打ち合わせをと呼ばれて、お宅に初めてお邪魔しました。たしかおけにアユを何匹か持っていった。竹鶴さんは、チラッとおけの中身を見て一言、『見事なもんだ』と」

 

緊張気味の佐藤さんに、政孝はさらに「お前の親父さんも酒さえ慎めば、もっと長生きできただろうになぁ」と声をかけたという。当時を思い出し、佐藤さんは相好を崩した。

 

「ウイスキー会社の社長にそんなこと言われてもねぇ。それから、まだ日も高いっていうのに、ウイスキーをグラスに注いで『どうだ、1杯飲んでくか?』って(笑)」

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