「私も夫も苦しんできました。でも、必ず回復の道は開けますーー」と話すのは、祖父も父も、結婚相手もギャンブル依存症で、自身は買い物依存症と、依存の連鎖を体験した田中紀子さん(49)。現在はその体験をもとに、一般社団法人「ギャンブル依存症問題を考える会」の代表を務める。

 

田中さんが夫の恵次さん(44)と出会ったのは20年前。生活費を稼ぐために違法と知らずに働き始めたカジノバーに、すでに店員としていたのが恵次さんだった。高校のころからパチンコやマージャンにハマり、大学で競艇に夢中になった恵次さん。卒業試験も競艇ですっぽかし、親にも勘当され、当時すでに立派な“依存症”だった。

 

「でも、当時はギャンブル依存症なんて言葉もない。私もすっかりギャンブルにハマり、2人でのめりこみました」(紀子さん)

 

その後、共に転職し、結婚、妊娠。紀子さんはギャンブルをやめることができたが、夫はすでに依存症が重症化していた。転機が訪れたのは、’04年。「ギャンブル依存症」という言葉をネットで知り、都内の専門外来に飛んでいった。

 

「夫はギャンブル依存症と診断され、私も共依存(他者に必要とされることで、自分の存在意義を見いだすこと)だと言われました。回復するには自助グループに行くしかないと、医者に言われたんです。ほかに手立てもないので、参加しました」(紀子さん)

 

そこで勧められたのが、依存症から抜け出すためのステップ。その内容は次の通りだった。

 

【ギャンブルに対して無力であることを認めること】【過去のつらいことや悲しいことを書き出すこと】【自分の過ちもすべて書き出すこと】【生き方を変える決心をすること】【自分の過ちで傷つけた人たちに謝りに行くなど、埋め合わせをする】

 

これを日常生活でも繰り返していく。何か嫌なことがあったときも、事実と向き合い、するべき正しいことをする。そうして、自己肯定感につなげていくのだ。いまはIT系の制作会社を経営する恵次さんとともに週に2回の自助グループ通いは欠かさない。

 

「依存症に回復はあっても完治はありません。忙しくなるとイライラして、今も魔が差してしまう。そんなとき歯止めをかけてくれるのが、共に支え合ってきた仲間たちなんです。今日もギャンブルをしなかったという積み重ねの連続です」(恵次さん)

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