沖縄県うるま市にある介護老人保健施設「いずみ苑」では、現在400人ほどのお年寄りがデイケアやグループホームを利用している。10人ほどのお年寄りが沖縄民謡を大正琴で弾き始めた。フロアの別の一角では絵を描く人もいれば、習字を楽しむ人も。

 

その様子を穏やかな笑顔で見守る苑長の安田未知子さん(82)。17歳から教壇に立ち続けた名物教師だったという安田さんは、顔を合わせる人全員に挨拶し、近況を尋ねていく。皆、自分のところに来てくれるのを待っているかのようだ。安田さんの活動は、ここの苑長職にとどまらない。

 

「以前、役所に提出する書類のために、関わったボランティアの数を数えたら44でした。今はもっと増えていますけどね」

 

笑いながら差し出す2枚目の名刺には、知的障害者のための国際スポーツ組織であるスペシャルオリンピックス日本・沖縄支部・会長の肩書が。さらに毎朝およそ3時間は日本全国からの悩み相談を電話で受け付け、講演会やセミナーにも手弁当で駆けつける。平均睡眠時間3時間。寝る間を惜しんで人助けに飛び回る彼女のことを、地元の人はいつしかこう呼ぶようになっていた。

 

「沖縄のマザーテレサ」

 

そんな慈愛に満ちた活動の原点は、10代で体験した苛烈を極める沖縄戦だった。

 

1931年、東京・港区の生まれ。歯科医院の長女だった。が、もともと両親とも沖縄出身で、祖先は琉球王国の外交に従事した名門であり、100年も続くクリスチャンの家系。8歳のとき、家族で沖縄の具志川(現在のうるま市)に転居した。この年、第2次世界対戦が勃発する。当初はなじめなくて困ったが、猛勉強の末に’44年春、県内1のエリート校・沖縄県立第一高等女学校に入学した。

 

「1学期は制服を着て勉強しましたが、2学期はもんぺをはいて首里の高射砲陣地を造る作業に駆り出されました」

 

その年の暮れ、3年と4年の上級生は看護任務を行うひめゆり学徒隊として編成された。安田さんは校長の手紙を軍の司令部に届ける伝令係となった。あるとき、突然の空襲に慌てて防空壕に入ると、後から来た大人に外に引きずりだされた。とっさに地面に突っ伏す。

 

「空襲の爆風にやられると、まず耳が飛ぶ。だから、両手の親指で耳たぶから畳むように耳をぐっと押さえて、目玉が飛び出ないよう、残った4本の指で両目を押さえて身を伏せるんです。そんな訓練を何度もやってましたから」

 

’45年早春、安田さんも含めたひめゆり学徒隊の乙女たちは、南へと敗走を余儀なくされていた。あのまま上級生たちと行動を共にしていたら、彼女にも死しか残されていなかったかもしれない。しかし、安田さんは弓道を教わっていた教師だった陸軍中将に戦場で出会い、その幼さゆえに帰還を命じられる。

 

人の情に守られ、北部の町で家族と再会できたが、結局、その後の逃走中に米軍に捕まってしまう。“捕まればその場で殺される”と教えられていた米兵は、安田さんたちに食料を分けてくれたのだった。こうして8月15日の終戦の日を、米軍の収容所で迎えた。

 

「私だけ、このまま生き残っていいんだろうか」

 

終戦後は抜け殻のようになってしまった。そんな娘を案じた母が、地元の高校への編入手続きを取り、卒業後は沖縄の外国語学校に進学した。’48年、沖縄の女性英語教師第1号として具志川中学へ赴任。17歳の若さだった。

 

「両親を、またそのどちらかを亡くした子がたくさんいました。米兵と日本女性とのハーフも多く、ほとんどが母子家庭でした」

 

そんななかに、勉強熱心で「上の学校に行きたい」という子供もいた。22歳で結婚した同じ教師の政登さんも承知し、彼らを家に住ませて食事の世話をした。その数はのべ43人。そんな生活が60歳の定年まで続いたという。

 

あるとき、叔母から「1人暮らしで不安な高齢者を支える施設を造ってほしい」と相談を受けた。東京の大学で医学部教授就任直前だった弟の義英さんを説得して呼び戻し、’85年、いずみ病院を開業。7年後、教師を定年退職した安田さんが病院を手伝うようになると、今度は弟が姉の背中を押し、老健施設の設立を提案。’93年、いずみ苑がオープンした。

 

「人はそれぞれ育った環境も性格も違うでしょ。それなのに全員同じことをさせようとするから窮屈になる。好きなことをすればいいのよ。三味線の音楽療法を始めるでしょ。すると三味線の音を合図に習字を始めるおじいさんがいたり、絵を描き始める人がいるの(笑)」

 

どんな境遇の人にも安らかに天寿を全うさせてあげたいという思いは、教師時代に、貧しい家の子にも恵まれた家の子にも分け隔てなく接し、健やかな成長を願い、奮闘していたときと変わらない。その安田さんが言った。

 

「辺野古に新しい基地はダメ。沖縄って、海と空しかないでしょ。子どもや孫たちのために絶対に造ってはいけないの」

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