砂漠の草に朝露がつき、空が薄青くにじむころ。アルケトビ家の玄関には、すでに“猫だかり”ができている。「さんちゃーん、はっちゃ〜ん、おはよう〜!」と、歌うように猫の名前を呼びながら、杉山美奈子さん(43)が玄関を開けると、10数匹の猫がニャーニャーと取り囲む。何種類ものレトルトパウチのウェットフードを、ガラスの器に1個1個開けながら、1頭ずつに声をかける。

 

30分ほどで終えると、今度は中庭へ。「ティーニー、タイニー、おはようー!」。狂喜乱舞して応える2匹の犬を連れ、家の裏口を出ていく。その先は、一面の砂漠。

 

彼女が住むのは、中東のアラビア半島にあるUAE(アラブ首長国連邦)。原油が出たことで急激な近代化が進み、なかでもドバイは「世界1高いビル」を擁する近代都市として有名になった。が、超高層ビル群を抜ければ、景色は一気に砂漠になる。その中をまっすぐに貫くハイウェーを120キロほど走ると、アル・アインという町がある。彼女が住むのは、その外れだ。

 

家の敷地は東京ドーム1.5個分。母屋に暮らす人間は、美奈子さんとUAE人の夫、セイフ・アルケトビさん(41)の2人だけだが、夫妻に寂しがっている暇はない。家の中には猫2頭とハトとウサギがいる。広い庭にはガゼルが6頭、犬が2頭、馬が1頭。家の敷地に隣接する動物小屋に牛とらくだ。そして、家の外を自由に行き来する、26頭の外猫。この40頭ほどの家族に加え、隣接する小屋で暮らす夫の実家の動物たちも加えると、命は全部で200頭!

 

「本当に、こんなつもりじゃなかったんだよ!結婚したとき、動物は飼わないと決めていたんだから」

 

何がどうしてこうなったのか?美奈子さんは’71年、静岡生まれ。両親は保険の代理店を営んでいた。高3のとき、無医村地区の役に立ちたいと思い立つが「先生に『何年浪人しても医者は無理』と言われ(笑)』、筑波大の短期大学部で看護師資格を取り、自治医科大の看護短大で助産学を修め、’94年に助産師として筑波大学病院へ。楽しくやりがいもあったが、2年後にあっさり退職し、渡米。

 

「直接の原因は失恋(笑)。でも昔から英語を会得したいと思っていて、外国人の患者さんとも話せるようになりたかったから、いいきっかけだった。父も『ガイジンの彼氏でも作ってこい!』と送り出してくれましたし(笑)」

 

’96年、ミシガン州フェリスステートユニバーシティの英語コースへ。そこで出会ったのが未来の夫、当時22歳のセイフである。24歳だった美奈子さんの第1印象を問うと「好きになるのが簡単な人」と答えた。「みんな彼女のことを好きになるでしょ?美奈子は“そういう人”です」と。

 

同年冬には、将来のことも考えていた。しかし父に報告すると……父、激怒。「父にとってアラブ人は“ガイジン枠”じゃなかったらしく『今すぐ帰ってこい!』。すっごいビックリしちゃった」。アメリカにはアラブ人差別があったが、美奈子さんにはまったくアラビア世界への偏見はなかったのだ。

 

同年12月に語学留学が終了。セイフは航空科学の勉強をしにフロリダの大学へ進み、美奈子さんは筑波大学病院に復職。連距離恋愛となる。留学中、セイフは日本を訪れ、優しい人柄に父も母もほだされたが、結婚は別。月日の流れとともに父の心もほどけ、2人の結婚が祝福されたのは’03年のこと。

 

UAEに移住したが、新婚生活は狭い長屋で始まった。当時、セイフは実家の借金を背負っていて、教師と役所の仕事を掛け持ちしていた。遊牧民育ちのセイフは「砂漠に戻りたい」という思いが募り、翌年には、砂漠に家を建て始めてしまった。美奈子さんが日本に帰省しているあいだ、まだ窓ガラスもない小さな家に、セイフは1人で移り住んだ。

 

彼が静岡の杉山家に「赤ちゃんガゼルがうちに来た」と電話をかけたのは、その少しあとのこと。ある狩人がガゼルを仕留めたところ、傍らにへその緒がついたままの赤ちゃんを発見。困った狩人がセイフを頼って連れてきたのだ。砂漠の民のセイフにとっても、野生動物は“飼う”対象ではない。しかし、生後1日目の赤ちゃんを放ってはおけない。2人は「しょうがない」と、動物を飼わないという禁を破り、引き取ることに決めたのだ。

 

ガゼルの次には、犬が来た。砂漠を散歩中、生後間もない子犬の姉妹が捨てられているのを発見。何日も母犬探しをしたが見つからず“しょうがなく”連れ帰った。

 

犬のあとには、ハトが来た。商店街にフンまみれのヒナが落ちているのを見てしまう。羽が折れていた。「通りすぎようとしたんだけど(笑)、しょうがなくて」。

 

ハトのあとには、猫が来た。「子猫が自分の家の穴の中に落ちていたら……もう、しょうがないでしょ(笑)。そのころ庭に出入りしていた2匹の野良が子猫を10匹産んじゃって。さらに家の前に大けがした子猫がきて……」。

 

 

「いまいるみんなが最後まで元気で健康でいてくれれば、ほかのことはどうでもいいの」

 

砂漠のほとりで、オアシスを見つけたかのように集まってくる動物たち。みんなが家族だ。

 

美奈子さんのフォトエッセイが出ています!

『砂漠のわが家』美奈子アルケトビ / 著 950円 幻冬舎

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アラブの砂漠で200匹の動物たちが、のんびり気ままに、ゆるゆる暮らす様子が楽しい、ほっこり癒されフォトエッセイ。

 

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