「大学時代に“将来は農業を主体とした地域づくりに関わりたい”と思ったのが、孫ターンのきっかけでしたね。そして、自分のやりたいことがいちばん実現できそうな場所はどこか?と考えたときに、子どものころ、きれいな川で泳いだり、田んぼでカニを捕まえて遊んだ、楽しい思い出が詰まった、この場所が真っ先に浮かんだのです」

 

そう語るのは、6年前に東京から新潟県長岡市に孫ターンした刈谷高志さん(32)。移住先となった長岡市栃尾は、32年前に母親の里帰り出産で刈谷さんが生まれた場所でもある。生後まもなく、当時両親が住んでいた東京都小平市に戻り、小・中・高は、父親の実家がある新潟市で暮らし、大学進学で再び上京。そして卒業後の’09年、祖父母のいる“思い出の故郷”へと孫ターンしたのである。

 

「最初の1年半は農業ではなく、新潟県中越地震の復興支援員として被害に遭った地域で働きました。地域の人たちと一緒に町づくりをどう進めていくかという仕事でした。本格的に農業を始めたのは、’11年の春からです」

 

田舎に移住して農業をやる場合、いちばんネックになるのが、農地がなかなか借りられないという問題。移住者に、先祖代々の大事な土地を簡単に貸すわけにはいかない、と。ところが……。

 

「最初に、祖父母から農地を所有する地主さんを紹介してもらい、交渉をしました。すると“どんどん使ってくれ”という予想外の反応が。誰も断らないんです。おそらく普通の移住ではありえないことだと思います。なかには“ウチの土地も空いているから、何かやってくれないか?”みたいな話がきたりもしました」

 

刈谷さんは、自分が祖父母の孫ということで、周辺住民からも歓迎され、とても親切にされていることをあらためて実感したという。

 

農業を始めて今年で5年。今では枝豆をメーンにズッキーニ、しいたけ、なすなど野菜を約20種。米も作っているというから、農業は順調そのもの。

 

「とにかく食料に関しては、いろいろ取れるので困ることはありません。特に儲かっているわけではありませんが、農業を始める前と比べて財布を開く回数は圧倒的に減りました。週に1〜2回。だからわが家が貧乏だということを自覚しなくてもいい(笑)」

 

’12年、刈谷さんは東京で知り合っていた、ひと美さん(35)と結婚。現在は2児のパパだ。ひと美さんもこう言う。

 

「ここでの生活は、食べることに対する不安がないこと。家族がこれだけ元気でいられること。これが何よりも安心感を生みますね。“お金で買えないものがここにはたくさんある”という意味では、東京にいるときよりも不安はないですね」

 

刈谷さんは、孫ターンをして失敗だったと思ったことはないという。

 

「デメリットをあえて言うなら、仕事で失敗ができない。祖父母のメンツをつぶすようなことはできないという責任感でしょうか。ただ、それは当たり前のことなので、デメリットとは思いませんけどね(笑)」

 

最後に、これから移住を考えている人たちへのアドバイスを聞いてみた。

 

「地方都市への移住であれば話はまったく別ですが、田舎への移住の場合、『家がない』『仕事がない』『信頼がない』という、3つの大きなハードルをクリアしなくては、なかなかやっていけません。その点、孫ターンはこのハードルを下げたり、事前にある程度クリアできる。これはかなりすごいメリットだと思います」

 

孫ターンは、超高齢社会に一石を投じる移住政策になるかもしれない!

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