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世界遺産登録が決定し、注目を集めている軍艦島。正式名称は「端島」というが、軍艦にも似たその外観から軍艦島と呼ばれている。廃虚マニアの聖地として注目されているが、全盛期は世界最大の人口密度を誇る最先端都市だった!

 

「もっとも住民が多かったのは昭和34(1959)年で、総人口5千259人でした。軍艦島は、『たばこ1本吸う間に、島内を1周できる』と言われるほど小さく、人口密度は当時の東京の約9倍。その記録は破られていません」

 

そう語るのは『軍艦島入門』(実業之日本社)の著書があり、60回以上も島に渡っている「軍艦島伝道師」、オープロジェクトの黒沢永紀さん。軍艦島は良質の石炭が産出されることから、明治23(1890)年に三井財閥二代目総帥の岩崎弥之助が、当時の所有者から買収。炭鉱の町として栄えた。

 

「三菱が最先端の技術を投入したことで、石炭の採掘量は飛躍的に増加。それに伴い炭鉱労働者と家族、三菱から派遣される社員などの人口も増加したため、高層住宅が次々と建設されたのです」

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その第1号は、鉄筋コンクリート造りの30号棟。東京もまだ平屋だらけだった大正5(1916)年に、地上7階建ての国内初の高層アパートが、絶海の孤島に建てられたのだ。

 

「その後も続々と高層住宅が建てられました。家だけでなく、学校、病院、寺社に映画館まで。ただでさえ小さな島に炭鉱施設と都市が共存しており、わずか200メートル四方の居住エリアに5千人が暮らしていました。海底水道や屋上庭園など“国内初”の試みにあふれたこの島は、まさに未来都市。近隣の住民は、不夜城のごとく明かりがともり続ける軍艦島を、異世界と思っていたようです」

 

しかし、日本が石炭から石油へエネルギー政策の転換を迎えたことで、昭和49(1974)年、軍艦島は閉山。住民は島を離れることを余儀なくされ、崩れゆく廃虚としての時を重ねていった。

 

「軍艦島は、戦前から戦後にかけて間違いなく20世紀の日本を動かしていた島。その痕跡をこんにちにとどめる、貴重な文化遺産です」