東日本大震災から2年を迎える3月。『NHKスペシャル』は、3日から6本の震災関連特集を放送中だ。今回、7日の『何が命をつないだのか〜発掘記録・知られざる救出劇〜』担当である仙台放送局の小林竜夫ディレクター(42)に話を聞くと、そこには日本人が忘れかけていた心を呼び覚ます感動の物語があった。

 

震災直後、大津波が宮城県を襲い市街地は水没。海沿いの道を通らなければ辿り着けない牡鹿半島は、交通網が寸断され救出が遅れた。4日ほどたち、ようやく2人の自衛隊員が現状確認に訪れたほどだ。その地域に、わざわざ海を渡り、三重県のある漁船が救援物資を届けに来ていた。

 

なぜ、国から指示を受けたわけでもない一漁船が、そのような行動を起こしたのだろうか。背景には、死傷者4万4,000人を出し”昭和最大の自然災害”といわれる’59年の伊勢湾台風があった。

 

「その船主の祖父が三陸地方に出航していたとき、伊勢湾台風が起こった。引き揚げるときに、三陸の人たちが大量の食料をくれたうえに、復旧資材となる戸板などの木材もたくさん載せてくれた。生前、その話を何度もしていて、『あのとき三陸の人たちに助けてもらった。いつか必ず恩返しがしたい』と言い残したまま、他界した。『おじいちゃんの受けた恩を返せるのは今しかない』と孫である船主が思い出し、船を出したそうです」

 

実は、漁船は翌日には南太平洋方面に出航しなければならない仕事があった。それを取りやめて、救援活動に向かってしまえば、1億円以上の損失を被る可能性があった。余震も続いていて、何が起こるかわからなかった。

 

「出航するとき、『万が一のことも覚悟してくれ』と奥さんに相談すると、『元気で帰ってくればいいから』と背中を押してくれたそうです。あの日は、日本中の誰もが自分のことを顧みず、被災地のためにと考えていたのだと思います」

 

それは、50年の時を経て実現した、おじいちゃんの恩返しだった。