「原発事故がなければ娘や息子夫婦は、いつか南相馬に戻って、私たちの近くで暮らしてくれる予定でした。でも、原発事故が起きて、その計画も実現できなくなってしまいました」
こう言って肩を落とすのは、福島第一原発から約26キロの南相馬市原町区に住む金子利夫さん(66)、正子さん(66)夫妻。生業訴訟の原告でもある。
金子夫妻が住む原町区は原発事故直後、“屋内退避エリア”に指定された。そのため、事故直後は、東電からひとりあたり月額10万円の精神的慰謝料が支払われたが、それも1年半で打ち切りに。しかし、事故から年経った今でも、目に見えない被害は続いている。
「娘のエリ(仮名)は、原発事故前に出産したばかりだったんです。だから、子どもへの影響を心配して、事故後3年間は里帰りしませんでした」(正子さん)
エリさんが、初めて孫を連れて帰ってきたのは、2015年。しかし、エリさんの手には線量計が握られていた。
「『お母さん、線量が下がったといっても、まだ部屋の中で毎時0.44マイクロシーベルト(原発事故前の約10倍)もあるね』と言われて……。娘は今でも必ず、戻るときには線量計を持参します。安心して孫たちを里帰りさせてやれないのが、かわいそうで」
正子さんは、エリさんが孫を連れて里帰りするたびに、ミネラルウォーターと福島県産以外の食材を用意する。地元の水や食材に放射性物質が含まれていたら、と考えると心配だからだ。
「このあたりは、山や田んぼがあって自然の恵みが豊かなんです。この時期なら、山で栗とススキを取ってきて、お月見ができた。山菜を食べるのも楽しみだったし、山で汲んできた湧き水でコーヒーを入れると、すごくまろやかな味わいになって」(正子さん)
「でも、もうすべて汚染されてしまったから、そんなことはできなくなりました。国や東電は、お金だけで解決しようとするけど、それだけでは取り戻せないものもあるんです」(利夫さん)
金子夫妻はそう言って、失われた自然の豊かさを懐かしむ。
9月22日に判決が出た千葉の原発避難者訴訟では、「大津波は予見できたが、対策を講じたとしても事故を回避できなかった可能性がある」などとして、国の事故責任を認めない判決が出た。
これに対しても正子さんは、しばらく怒りが治まらなかった、と言う。
「原発事故は普通の災害とちがって、ひとたび起きれば、甚大な被害を及ぼします。自然は汚染され、次世代への影響も計り知れない。補償の有無やリスクに対する考え方の違いで、人間関係も破壊されてしまう。それが今回の事故でわかったはずなのに、こんな判決を出すなんて。生業訴訟では、国の責任を認めさせて、二度と同じあやまちを繰り返させないようにしたいんです」
生業訴訟の弁護団事務局長である馬奈木厳太郎氏が、この裁判の意義をつぎのように語ってくれた。
「原告の話からもわかるように、被害の形は多様です。しかし現在は、加害者側の国や東電が、なにが被害で、誰が被害者かを決め、“お金”の問題だけに被害を矮小化しようとしています。こんなおかしな話はありません。裁判という形式上、賠償金の請求を求めていますが、お金だけにとどまらず、自然環境の再生や医療保障、壊れたコミュニティーの再構築なども合わせて訴えていくことを考えています。今回は、たまたま福島で事故が起こったが、いつ自分の近くの原発で事故が起きるかもしれない。いつ被害当事者になるかわからないのです。そういう意味でも、福島の人たちだけに関係する裁判ではない。誰もが関心をもって、10月10日の判決を見守っていただきたいと思っています」
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(取材・文/和田秀子)