ANA客室乗務員で45年 通算飛行時間3万750時間29分での出会い

大宅邦子さん(65)は’74年、20歳で入社して以来、ANA一筋、客室乗務員(CA)一筋で、世界の空を飛んできた。’85年にはANAの国際線立ち上げのプロジェクトに最年少で抜擢。以降、おもに国際線のファーストクラスを担当しながら、客室全体の責任者・チーフパーサーとして、最上級のおもてなしを提供し続けてきた。

 

ちょうど1年ほど前の昨年11月。ラストフライトを無事に終え、大宅さんはANA初の、定年退職まで飛び続けたCAとなった。今夏には、45年という長いCA生活での経験や、育んできた思いを『選んだ道が一番いい道』(サンマーク出版)という1冊にまとめ、出版した。

 

8,000人を数えるANAのCAたちの多くが憧れ、慕い、そして誇りに思うーーそれが“空のレジェンド”と呼ばれる大宅さんなのだ。通算飛行時間は3万750時間29分!

 

「よく、いろんな方から『怖い思いをしたことは?』と聞かれるんですけど……、私、本当にそういう経験がぜんぜんないんです」

 

こう言って笑う大宅さんだが、一度だけ「あとから『危なかった』と聞かされたことがある」と打ち明けた。それはCAになってまだ3〜4年目、羽田発広島行きの便でのこと。機材は懐かしの日本製プロペラ機・YS-11だった。

 

「天候が悪くてなかなか着陸できず、上空を旋回して長いこと待ってから降りたんです。その晩、機長らと食事に行くと、その席で機長から『じつは、あそこで降りられなかったら、もう燃料がなかった、着陸しブレーキ踏んだときは足が震えてたよ』って告げられたことがありました」

 

29歳のとき、大宅さんに会社から声がかかる。

 

「アメリカに行ってみないか?」

 

シアトルのボーイング社などでの訓練の誘いだった。国際線就航に向けての準備の一環だったのだ。さらに’85年、国際線スタートのための11人のプロジェクトメンバーの1人に選ばれ、香港のキャセイパシフィック航空に派遣された。現地の訓練所で1カ月にわたって、国際線ならではの高い食事サービスのスキルの特訓を受けたという。

 

そして、’86年7月。いよいよANAの国際線が就航。直前の結団式では総勢約270人のCAが集まった。1人ずつ名前を呼ばれ立ち上がり、最後は全員で「がんばりましょう!」と気勢をあげた。そして第1便の当日……。

 

「出発前、ANA成田支店でブリーフィングを行って。終了後に客室部全員に見送られてバスに乗り込み、ターミナルに向かいました。そのとき、誰かが映画『ロッキー』のテーマ曲を流してくれたんです。そう、私たちの国際線の第1便は、あの有名な勇ましい曲とともにスタートしたんです」

 

国際線就航以来、大宅さんは30年以上、チーフパーサーとして乗務を続けてきた。それだけ長いこと、第一線の責任者を任されていれば、いろいろなことがある。

 

ある日のヨーロッパ便でのこと。休憩時間に仮眠を取っていた大宅さんを揺り起こす者がいた。見るとエコノミークラスのパーサーだ。彼女は小刻みに震えていた。

 

「申し訳ありません、お客さまからクレームを頂戴して。担当CAでは対応できず、私が行ったのですが、大変なご立腹で。『チーフパーサーを呼べ』と……」

 

サービスに時間がかかりすぎることへのクレームだった。

 

「40代ほどの男性のお客さまで、何時何分にベルト着用サインが消えて、何時何分に飲み物のサービスが始まって、自分のところに回ってきたのが何時何分で、と克明に記録されていて……、『時間がかかりすぎる!』と……」

 

ついに泣きだしてしまったパーサーに、大宅さんは「私が行きましょう」と優しく声をかける。ところが、まず向かったのは、その客の席ではなくギャレーだった。大宅さんは熱い日本茶を1杯いれて、トレーに載せ、それから改めて怒り心頭の乗客のもとへ。

 

「お茶を入れる時間をあえてとる、その少しのゆとりが大事。私自身も落ち着いて対応できましたし、お客さまもお茶をお召し上がりになって、少し落ち着かれたようでした。冷静にこちらの言葉を聞いてくださり、最後は和やかな雑談まで交わした記憶があります」

 

同僚への気配りも忘れない。すっかり落ち込んでいるパーサーにもう一度、言葉をかけた。

 

「あんなに怒っているお客さまへの対応、あなたも大変でしたね。でも、もう大丈夫。お客さまのご機嫌も直りましたよ」

 

記者が改めて大宅さんに、クレーム対応の極意を聞くと、にこりとほほ笑み、こう教えてくれた。

 

「私はよく、同僚のCAには『大丈夫、命までは取られませんよ』と話してきました」

 

一方で、長いCA生活の中では素敵な出会いもたくさんあったという。それは十数年前のクリスマスイブだった。

 

「成田発シカゴ行きの便のファーストクラスに、小学5年生のお嬢さんとそのご両親が搭乗されました。私はお嬢さんに、お酒こそすすめませんが、それ以外はすべて大人と同じ接客をしました」

 

大宅さんは長い経験から、「3歳以上の子どもは自分がどう扱われているかわかる」と話す。

 

「5年生ともなれば大人と同じです。私はお食事をすすめるのも、ご両親とまったく同じように、もちろん敬語で、素材や調理方法まできっちり説明し、ご注文をうかがいました」

 

年が明けると大宅さんのもとに、女の子の父親からお礼の手紙が届いた。そこには、海外出張が多く、たまったマイルでファーストクラスを利用したものの、はたして子連れで乗っていいものか迷っていたこと、子どもを大人同様に扱ってくれて、子ども自身が感激していたことなどが綿々とつづられていた。

 

「私も返事を書くと、今度はそのお嬢さんから手紙をいただくように。以来、彼女との文通が始まりました。中学受験のこと、無事合格したこと、中学では吹奏楽部に入ったことなどの近況報告に、私までうれしい気持ちになりました。そして、本物の大人の女性になった彼女とは、今でも手紙のやり取りが続いています」

 

引退後も、人生相談や職場の愚痴の聞き役と、現役CAとの交流が続く。さらに講演依頼を受けて地方に飛んだり、友人に誘われて18年来の愛車・BMWでロングドライブに出かけたり。そうかと思えば最近始めた囲碁に「奥が深いですね」と夢中になったり。

 

「今でも『飛べ』と言われたら飛びますけれど……、今の暮らしも楽しくて、とても充実しているんですよ」

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