「戦後75年を迎えますが、住民側の被害者目線で語るだけでは沖縄戦の本当の悲惨さ、恐ろしさはわからないということを、この本で伝えたかった。終戦間際、住民虐殺など残虐行為をした日本軍のなかにも地元・沖縄出身者がいました。さらに住民たちは、スパイ疑惑をかけられた同じ村の住民を、処刑されると知りながら軍に突き出していた。戦争ではそういう心理に誰もがなり得るし、被害者にも加害者にもなるという恐怖を多くの人に知ってもらいたいと思っています」
こう語るのは、映画監督の三上智恵さん。
2018年に公開され、文化庁映画賞、キネマ旬報文化映画部門ベスト・ワンなど数々の映画賞を獲得したドキュメンタリー映画『沖縄スパイ戦史』。描かれたのは沖縄戦の最終盤と、終結後もゲリラ戦を続けた護郷隊(1944年10月に10代の少年らで編成された少年兵によるゲリラ部隊)のこと。その指揮をとっていたのは、大本営から送り込まれた諜報や防諜など秘密戦を専門とする陸軍中野学校出身のエリート青年将校だった。
この作品で、大矢英代さんと共同監督を務めた三上さんが著したのが『証言 沖縄スパイ戦史』(集英社新書)だ。
750ページという大著には、映画では割愛されてしまった多くの証言が収録されているほか、映画完成後に三上さんがさらに追加取材した内容も。
本書の序盤、第1章に登場するのが21人の元護郷隊の少年兵たち。取材当時90歳前後になっていた彼らは、当時の戦況と同時に、自らが何を思い、どう行動したのかを赤裸々に語り続ける。
「まだ、決して思慮深くない10代の男の子が、戦争に行けるということにワクワク、ドキドキしたり、いざ入隊し訓練や実戦が始まって『やばい、こんなはずじゃなかった』と後悔する子がいたり。それでも最後まで日本の勝利をずっと信じていたり。読者にはそういう少年兵たちの気持ちを、最初に共有してほしかった」
少年兵たちの飾り気のない言葉を読んでいくうちに、いつしか日本軍の末端にいた若者たちに共感を覚えるようになる。
「皆さんもそうなって気づくはずです。日本軍には住民を守る、という機能がごっそり抜け落ちていることに。少年兵も軍隊の中にいれば、勝たないと意味がない、住民だってきっと同じはずだ、と住民の犠牲もやむなしと思うようになっていくんです。アメリカ軍上陸後は、敵と通じる可能性のある住民の存在はやっぱり厄介だな、とまで考えるように……」
そう言われてうなずく記者に、あの時代の沖縄の少年たちと同じように、すでに私たちも戦争ウイルスに浸され始めているかもしれないと、三上さんは、こう続ける。
「コロナウイルスも怖いですが、集団で感染し命を奪う戦争ウイルスもさらに怖い。戦争を放棄したはずの日本国民のなかにも、戦争できる国のほうが安心だというウイルスの感染は進んでいます。この感染を止めるワクチンは? 予防策は? そのヒントが、沖縄戦の体験のなかにあると私は思うんです。そして今、75年前と同じ世の中が来ようとしている、そういう強い危機感があるから、私はこの映画を撮り、この本を書いたんです」
本の中盤では、沖縄の護郷隊と同様の少年ゲリラ部隊が、じつは日本全国で準備されていたことが、複数の証言とともに明かされる。
「戦争が長引き、ひとたび本土が戦場になっていたら、沖縄と同じ悲劇があちこちで起きていたはずです。これまで、私が作った映画を見てくれた人のなかには『沖縄、大変ですね』と感想を述べる人がいる。でもね……私はこれまで『沖縄が大変です』と訴える映画を作ったことはないんです。米軍だけではなく自衛隊の基地も含め、地域の軍事要塞化が住民たちの意に反して進められていく沖縄にいると、日本が壊れていくさまがよく見えるだけなんです。そう、日本が大変なんです。まるで対岸の火事のように、戦争の危機を沖縄の問題としてだけ見ている人たちに言いたい。『あなたたちの服に火がついているんですよ』と」
『証言 沖縄スパイ戦史』
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