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思いがけず妊娠してしまった女性や、生まれてきた子を育てることができない母親など、妊娠や育児に悩む女性たちが24時間365日、いつでも駆け込める相談窓口、それが「小さないのちのドア」だ。助産師の永原郁子さんが院長を務める「マナ助産院」の裏手、人目につきにくいようにして、そのドアはある。18年9月の設立以来、毎月20~30件のペースで、さまざまな新しい悩みが寄せられてきた。

 

永原さんが助産師を目指し、そして、多くの女性の悩みに寄り添う存在をめざした背景には、熱い思いがあった。

 

「かつてのお産は『産婆』と呼ばれた助産師がそれぞれの家に来て赤ちゃんを取り上げる、それが一般的でした。それが、私が生まれた昭和30年代には病院での出産が増え、その数が逆転します。でも、うちは私も含めてきょうだい全員が、お産婆さんに家に来てもらって、自宅で生まれたんです。田舎町を母はいつも自転車で移動してました。その母が、ある家の前では必ず自転車を一度、降りる。お辞儀こそしませんけど、そこだけは自転車を押して歩くんです。『なんで、あんなことしてたん?』って聞いたら、当然のことと言わんばかりに『あんたたちを取り上げてくれた人の家だからよ』って。子供心に、助産師さんっていうんは特別な存在なんやな、と思ってましたね」

 

憧れを抱き勉強を続け、永原さんは見事助産師に。病院で働き始めた永原さんの仕事は常にめまぐるしかった。

 

「しばらくして、先輩で開業している助産師さんから『自宅出産の妊婦さんがいるから、手伝って』と声をかけられたんです」

 

出向いたのは神戸市内のごく普通の一軒家。日常の家族の営みのなかで、陣痛がはじまり、ひざ立ちの姿勢をとった妻は、夫に抱きかかえられながらお産に臨む。いよいよ、となると、上の子供たちが父母のもとに集まり、そして、新しい家族が生まれてくる瞬間を皆が笑顔で迎えて……。

 

「これこそが、お産の原点やな」

 

感動に浸っていると、先輩から思いがけない言葉を告げられた。

 

「これからは、あなたに任せるから。あなたが主でやったらいいわ」

 

やがて、口コミで自宅出産の依頼が次々に舞い込むようになった。そこで、永原さんは勤務していた病院を辞め、自らの拠点を立ち上げることを決意する。93年、「マナ助産院」を開業したのだ。

 

それから27年。これまでおよそ2千200人の赤ちゃんを取り上げてきた。

 

誕生の喜びに誰よりも触れてきた永原さんだからこそ、心を痛めていることがある。それは、年間16万数千人の女性が中絶を選択していること。それに、やっとの思いで生まれてきても、生まれたその日に殺害されてしまう子が、決して少なくないという事実だ。

 

「過去15年間、毎年、厚生労働省が発表していますが、最新の報告によると18年、生後0日で殺されてしまった赤ちゃんは発覚しているだけで14人もいます。そして加害者のほとんどは実母なんです。産んだものの育てることができない赤ちゃんを、人知れず託すことができる、それが赤ちゃんポストでした。だったら私は、ポストではなくドアを作ろう、そう思ったんです」

 

永原さんは、子供の命を守るのと同時に、母親の心にも寄り添いたいと考えたのだ。

 

「どんなお母さんだって、必死な思いで産むんです。そうやって産んだ子を置いて、立ち去るときの気持ちを考えたら、もういたたまれなくて。それで、ポストではなくドアにしたいと思ったんです」

 

勇気を振り絞ってドアを開けてくれたら、『あなたは命を捨てるためにじゃなく、守るために来てくれたんだね』って、声をかけてあげられる――。そんな思いを胸に、永原さんの活動は続いていく。

 

「女性自身」2020年7月14日号 掲載

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