多様性が認められるいまとなっては、LGBTの人たちも当然の権利を主張するようになった。だが、それをひたすら隠して生きなければならない、そういう時代も、ついこの間まであったのだ。
そうして、たったひとりで生きてきて92年、いまは大阪・西成にいる。ひとり暮らしだが、もう「孤独」ではない。3年前。家族のように、ありのままの自分を、さらけ出せる仲間と出会ったからだ――。
「ほな、これ被ってなぁ」
舞台の本番を前に、劇団員の女性がこう言いながら、日本髪のカツラを、おじいちゃんの頭に被せている。今日の彼の役どころは、明治時代の居酒屋の女将(おかみ)だ。
「おー、バッチリやん、かわいい、かわいい!」
そう言われたおじいちゃんも、まんざらでもない様子。やわらかな笑みを浮かべて「あ~ら、そう?」と小首をかしげ、台本を持つ手でしなを作ってみせている。
ここは大阪・西成。「あいりん地区」とも「釜ヶ崎」とも呼ばれ、かつては、日本の高度経済成長を支える労働者の町だった。しかし、彼らも一様に年をとり、いつしか多くの高齢者が暮らす、福祉の町になった。
そんな西成で、独居の高齢者たちが中心となって活動しているのが「紙芝居劇むすび」だ。一般的な紙芝居と違い、複数の演者がそれぞれの役に扮してセリフを朗読するユニークな手作りの紙芝居で、福祉施設や保育所などで定期的に公演を打つ。町のイベントにも欠かせない存在で、この日も、とある高齢者施設での公演だった。
むすびに3年前に参加し瞬く間に“看板女優”となったのが、先述の女将役を演じていた御年92歳のおじいちゃん・長谷忠さんだ。
「僕がな、女性の役を演るのは、性に合ってるのよ」
じつは、長谷さんは同性愛者だ。物心つくころには、男性として生まれた自分の体に違和感を覚えていた。初めて好きになった人は、小学校の男性教諭だった。
「僕はな、中途半端なんや。男は男だけど、男になれない。半分男で半分女、そういう生活をひとりで、ずっとひとりでしてきたのよ」
本人の言葉は少し寂しげに聞こえるが、少なくとも現在の長谷さんは、寂しくもないし、孤独でもない。
「ちょっと長谷さん、演出変わったわ」
本番直前、前出の女性劇団員がまた、声をかけてきた。
「あんな、その衣装の下に、これ着とってな」
手渡されたのは1枚のTシャツ。見れば、全面に派手な下着姿の、首から下の女性の体が描かれている。言われるがまま着替えると、長谷さんがセクシーな下着を着用しているように、見えなくもない。
「いいやん。そんで本番中にな、『ちょっと暑いな』言うて、上着を脱ぐと、そのエロいのが出てくるっていうふうにしよか(笑)」
大笑いの劇団員たち。少々、面食らった様子の本人のもとに歩み寄っては、口々に声をかけていく。
「ずいぶんセクシーな女将やね」
「エロいというより、長谷さんがそれ着るとかわいいな、うん、かわいい!」
「ええな、長谷さん。皆から『かわいい』言われて。むすびの看板娘やなぁ」
仲間からの言葉に、照れ笑いを浮かべる長谷さん。記者が「突然の演出変更、大丈夫ですか?」と尋ねると「ま、なんとかなるやろ」と自信をのぞかせる。
「ほかの男の人も、たまに女役を、セリフも高い声で出したりして演るけどもな。やっぱりそこは、僕が女役を演るほうが、際立つのよ」
こう言って、長谷さんは満面の笑みで胸を張るのだった。