作家・渡辺一枝さん「3.11後の福島で見た『ふるさと』の喪失」
画像を見る 孫に語りかける一枝さん。次世代のために、これからも福島に通い続ける

 

■子どもたちがルーツを探す日のために記録し続ける

 

「みなさん、できれば一度福島に足を運んで、ご自身の目で見て、肌で感じてみてください」

 

2月20日。聴衆にそう語りかける一枝さんの姿があった。東京で開かれた「トークの会 福島の声を聞こう!」の会場でのことだ。

 

「私のフィルターを通さず、福島の人たちの言葉を直接聞いてほしいと思ってはじめた会なんです」

 

39回目となるこの日のゲストは、南相馬市在住の高村美春さん。震災と原発事故を語り継ぐために県が設立した「東日本大震災・原子力災害伝承館」で“語り部”をしている女性だ。高村さんは語る。

 

「福島は、ニュースで伝えられているように“復興”しているわけじゃないし、かといってみんな悲しみに暮れているわけでもない。人それぞれで、いろんな側面がある。一枝さんは、そんな福島で生きる一人ひとりの物語を、語り部となって伝えてくれる人です」

 

そんな一枝さんが懸念しているのは、“復興”の名のもと、ふるさとが作り変えられている、こと。

 

「里山を削って別の場所に丘を造ったり、削った跡地をパークゴルフ場にしたり……。地形自体が変えられているんです。私自身、戦後60年以上たって自分の生まれた(旧・満州ハルピンの)家を探し出すことができたのは、建物は変わっても地形が変わっていなかったから。でもその後、中国全体、チベットもどんどん作り変えられている。福島も同じ。このことの罪って、すごく大きいと思うんです」

 

地形が変えられてしまえば、故郷の面影がなくなってしまう。

 

「福島から避難した子どもたちは、行った先がふるさとになるんだろうなと思う。でもいつか、自分の親につながるものをたどっていったときに、福島というのは根っこに残る。残してほしいなと思う。行った先がふるさとになって、その地域の言葉になっても、根っこはどこかにほうりなげたりしないで大事にしてほしい。でも、ふり返ったときにふるさとが失われていたら、たどれないよね……」

 

未来が見通せない混沌とした現状のなかで、気がかりなのは、未来ある子どもたちのことだ。

 

「近所に孫が3人住んでいて、週に1度くらいはうちにやってくるの。それはとっても楽しい時間です」

 

椎名さんも孫たちにメロメロで、帰宅したときに孫たちの靴が玄関にあると大喜びなのだという。

 

「でも私は、孫だけが特別かわいいってわけじゃなくて、よその子どもも、みんな同じようにかわいい。だから、原発事故も戦争もない世界で思うように生きてほしいと願っているんです」

 

一枝さんは、耳を傾ける。その人たちが語る言葉に。そこで営まれている人々の暮らしに。そして記録し続ける。

 

ふるさとが消されてしまわないために。ふるさとに再び出会うためにーー。

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