■ネットで見つけた居場所は広がっていく。スイーツカフェはすぐに40席が満席に
「転機は、不登校で家での生活となったとき、みずきにスマホを与えたことでした」
千里さんの声が、少し明るくなる。そういえば、工房でも、母と娘は近くにいながら、スマホを使って円滑にコミュニケーションを取っていた。
「家族の連絡用ということより、みずきに世界とつながっていてほしかったんです。私があの子に伝えたのは、『スマホを使えば文字で人としゃべられるんやで、インスタグラムでは自分のことを発信もできるんやで』と。もう、その日から、私や主人以上に使いこなしてましたね(笑)」
さすが現代っ子のみいちゃんは、すぐにスマホで夢中になれることを見つけたようだ。
「クックパッドや料理アプリを使い、次々にレシピを検索して自分で料理を始めたんです。最初はお総菜で、私も帰宅が遅れたときなど助かりましたが、そのうちお菓子作りにハマって、これじゃ夕飯のおかずにはならないと焦ったりも(笑)。私の勤務中にも、〈今日はコレ作ったで〉〈調味料は何?〉と、頻繁にLINEで届くようになって。ああ、この子、スマホを通じてなら、すぐに返事も返るんやと。このスマホとの関係は大事にせなあかんと、直感しました」
娘が料理に関心を持ったのを機に、千里さんは18年春、閉店した弁当屋の厨房を借りて菓子製造業の営業許可を取得。ここで、「近江の野菜食堂」を始める。
「食堂といっても、いわゆるマルシェ販売で、弁当も置きましたが、メインはみずきの蒸しパン。このころには、次々にオリジナルの新作メニューを考えるようになり、そのケーキの写真をSNSにアップすると『すごい!』など反響が届くのがうれしそうでした。親ばかですが、私から見ても、味もデザインも、お菓子作りのセンスをすごく感じて、好きなことを伸ばしてあげようという思いだけだったんです」
やがて作りすぎたタルトなどをご近所におすそ分けしていると、次々に「作ってほしい」という注文が届きだす。
「スイーツカフェ、やるか?」
「うん」
19年春、月1回限定のカフェを近所の空き店舗を借りてオープンすると、プロ顔負けのおいしさと、みいちゃんが一皿ごとに施すチョコペンアートの魅力が口コミで伝わり、すぐに40席が満席となってマスコミにも紹介される人気に。
「これやわ!」
千里さんが感嘆したのは、行列よりも、生き生きとケーキを作り続けるわが子の姿だった。
「これまで就労支援で作業所にも行きましたが、体が固まってしまっていました。でも、お菓子作りでエプロンを着けると、この子は別人になる。もうプロやん、と」
同じころ、みいちゃん自身も、インスタに〈いつか自分のお店を持ちたいです〉と書き込んだ。
「それを見て、おっ、えらい大きく出たな(笑)と思うと同時に、そうか、自分の居場所が欲しいんやなとわかって、主人とも相談して、本格的にケーキ屋を始めることを考えるようになりました」
続いて千里さんは、わが子をサポートするべく、製造に加え衛生管理などについても学ぶために、フルタイムで働きながら夜間の製菓技術専門学校に入学する。
「夕方5時半まで仕事をして、京都の製菓学校に移動して9時半まで授業で、寝るのは深夜3時。やっぱり無謀でした(笑)。卒業まで、予定の倍の2年かかりましたから。でも、今まで、みずきのことを悩み心配してた十数年に比べたら、こんな夢のある苦労なんてないと思えたんです」
さらに、うれしいことがあった。小さな成功体験を重ねるなかで、みいちゃんが再び学校へ通えるようになったのだ。
「自分の居場所を見つけた自信が大きいと思いました。SNSの中で発見したことを思うと、あの子は、今の時代やからこそ生き延びたと思うんです」
その後、開店資金のためのクラウドファンディングを実施し、これも達成。事業計画では、23年春にはグランドオープンして黒字化を目指すことなども報告された。
そして20年1月、みいちゃんのお菓子工房のプレオープンは、彼女が12歳のとき。のちに滋賀県初のグッドデザイン賞金賞受賞となる三角屋根のデザインを、いくつかの候補のなかから即断で決めたのも、みいちゃん本人だった。
小さなパティシエの挑戦は続いていくーー。