金子鮎子さんが開いた“精神障害者雇用への扉”天皇陛下にご報告も
画像を見る 64年、東京五輪の取材で女子選手村のゲート内には女性カメラマンしか入れず、大活躍だった金子さん

 

■精神障害者でも働ける社会へーー株式会社を設立

 

当事者やご家族から厚い信頼を得るようになった金子さん。NHKの勤務がない時間は、精神障害者宅を訪問して話し相手になったり、精神障害者を支援する会で病気のことを学んだり……。

 

「仕事や勉強で手いっぱいで、結婚には前向きになれなくて」

 

金子さんは、結婚より精神障害者と共に歩む道を選び取っていた。そんななか、「働いて自立したい」という精神障害当事者が多いことに気づく。

 

「当時、NHKに入っていた清掃会社にお願いしてまわり、精神障害者の方を数名、雇ってもらったんです。いきなりフルタイムは無理でも、一日数時間から徐々に延ばしたら、長く働ける人もいてね。サポートすれば精神障害があっても、ご本人次第で働けると確信しました」

 

NHKで働きつつも、金子さんの心には、「精神障害者と共に働く会社をつくりたい」という思いが年々膨らんでいった。

 

「私は医師でも保健師でもない。だから“支援”なんていう上から目線じゃなくて、手助けしながら“一緒に”働きたい。ただそれだけでした」

 

1988年、金子さんはおよそ34年勤めたNHKを55歳で定年退職。翌1989年、志を同じくする仲間と共に、精神障害者が働く清掃会社、株式会社ストロークを起業する。

 

障害者は数百円の工賃しかもらえない時代、社会福祉法人などではなく、株式会社にこだわったのは「障害があっても仕事に見合う賃金が支払われるようにしたかったから」と金子さん。社名のストロークには、なでる、さするなどの意味がある。

 

「赤ちゃんでも、スキンシップや周囲からの声かけが多いほどすくすく育つでしょう。そんなプラスのストロークを、もらうだけじゃなく、障害があってもこちらから発信して社会の役に立ちたい。社名にはそんな思いを込めたんです」

 

金子さんの熱意を目の当たりにし、応援団は増えていく。

 

「NHK時代の仲間や地域医療に関わってきた医師、たくさんの支援仲間、そして他界する直前だった父も株主になってくれて。起業を後押ししてくれました」

 

一方、美智子さまは、1989年に昭和天皇が崩御し現在の上皇陛下が天皇に即位されたことで、初の民間出身の皇后になられる。新しい時代の扉は開きつつあった。

 

次ページ >村木厚子さんらと実現した障害者雇用の道

【関連画像】

関連カテゴリー: