W双子夫婦仕事も家も4人で50年!夫婦2組の「生涯いっしょの誓い」
画像を見る モーター音が響く工場内。夫婦ペアで分担して仕事をこなすが、美智子さんが段取りを決め、喜久子さんが経理を担当

 

■4人でデートを重ねてプロポーズ。実は組み合わせは決まっていなかった

 

深見忠義さんと孝晴さんは1942年(昭和17年)、愛知県豊田市足助町に8人きょうだいの次男と三男として誕生。太平洋戦争の最中とあって、「兵隊が2人も増えた」と、役場から記念品が贈られた。

 

「戦禍といっても覚えていることといえば、家族で避難していた薄暗い防空壕に赤い電気が灯っていたことくらい」と忠義さんは言う。

 

材木業を営む深見家では、多忙な両親に代わって、双子の兄弟がその下に次々と生まれた妹たちを背負い、あやす役目を担った。兄弟は当時からそっくりだったそうで、忠義さんが述懐する。

 

「お祖父さんが風呂に入れてくれていたんだけれど、よく一方を2回入れてしまって(笑)。2度も入れられたほうは泣くものだから、終わったらハチマキをさせて目印をつけていたくらい、家族でも見分けられなかったらしいです」

 

姿形だけでなく、行動も思考も似ていた2人は、同じ学校へ通い、クラスも一緒だった。

 

「2人でべったりだったから、ほかの子が寄り付かん状態だった」と孝晴さんは言う。ともに学校を卒業したころには「生涯を共に暮らそう」と決意していた。

 

そのために、兄弟は周到なプランを練っていた。まず、2人で生活していくうえで、大きな軸となる「妻」を迎えるなら、自分たちの願いを理解できる「双子姉妹がいい」ということ。

 

そこで兄弟が頼ったのはテレビの力。当時人気だったある番組の「嫁さん探しコーナー」に出演し、双子の姉妹を募集したが、応募してきてくれた姉妹はたったの1組だけ。テレビの効果は諦め、今度は人を介して双子姉妹を紹介してもらったが、結局、成婚には至らなかったと忠義さんは当時を振り返る。

 

「気の合う双子姉妹でも、結婚生活は別々にしたい、という理由で断られて。同居という条件がネックだったようです」

 

孝晴さんがこう続ける。

 

「われわれは家まで用意してあったので、後に引けなかったのです」

 

なかなか伴侶を決めない兄弟を、父親は「いつまで探してるんか! そんな姉妹おるわけない!」と叱りつけた。「もう少し待ってくれ」となだめ、8回目のお見合いでついに出会ったのが、美智子さんと喜久子さん姉妹だった。

 

美智子さんと喜久子さんは、’48年(昭和23年)岐阜県揖斐郡に誕生。上に姉、下に妹の4人姉妹の次女・三女である。

 

戦後の復興期に生まれた姉妹は、学齢期になるとスポーツ万能姉妹としてスケートやバスケットボールに励んだ。同じ学び舎へ通い、地元の高校を卒業後の就職先も、そろってユニチカに入社した。ここでも瓜二つの双子姉妹は周囲を驚かせることがたびたびあったと喜久子さんは言う。

 

「『あれ? さっきは座って仕事をしていたのに、どうやって裏に回ってきたの? フェンスを乗り越えた?』って、業者さんが首をかしげていたりしましたね」

 

当時は就職するや、結婚を急かされる時代だ。美智子さんは勧められるまま日曜日になるとお見合いに勤しんでいた。

 

「30回はお見合いをして、決まりかけた縁談もありました。でも本心は、喜久ちゃんと離れたくなくて、『嫁ぐなら双子の兄弟がいいな』って友達に話していたこともあったんです」

 

所詮は夢物語と諦めていたが、「双子の兄弟が嫁探しをしている」と紹介話が舞い込み、’72年2月、名古屋駅で初対面を果たした。

 

この日のことを美智子さんが懐かしそうに振り返る。

 

「会う前から母親は乗り気で、この日も私たちに付き添っていました。出会いの日、案内されてこの家を見た途端、母は『ここにお嫁に行くのよ!』と。話が進みました」

 

見学した家の内部は2組の夫婦が暮らせるようにと、部屋も台所もすべて真新しく整い、さらに縫製工場という職場付き。兄弟が借り入れた事業資金はこのときにはすでに完済してあったのも、親からしてみると好印象であった。忠義さんと孝晴さんは開業以来、いつか来るお嫁さんに借金を背負わせるわけにはいかないと、4年間で7日しか仕事を休まず返済に励んだのだ。美智子さんは続けて、

 

「働きすぎで主人たちは貧相なくらいやせ細っていて、体重は50kgもなかったね。4回目のデートのとき『僕ら、痩せてはいますが、一生懸命働いているんで、結婚してください』って」

 

レストランで食事中、忠義さんが代表してプロポーズをしてくれた。兄弟は姉妹に一目惚れ。姉妹も「この人たちなら」と気に入っていたものの、実はこのとき、ペアはまだ決まっていなかった。そこで、美智子さんが「組み合わせはどうなるんでしょう?」と切り出すと、忠義さんはこう答えた。

 

「上は上、下は下がややこしくなくていいのでは」ときっぱり。

 

一拍置いて、姉妹はうなずいた。

 

「よろしくお願いします!」

 

約2カ月後の4月18日、2組の夫婦は一緒に結婚式を挙げた。

 

新婚旅行も4人で1台の車に同乗し紀州へ。双子同士の結婚はすでに新聞紙上で報じられていたため、宿の玄関前には従業員が並んでお出迎え。食事も一部屋に4人分が並べられていた。このときばかりは美智子さんは、宿の女将にこう頼んだという。

 

「『これから、私たちはいつも4人一緒なので、今夜の食事くらいは別々に』とお願いし、初めて夫婦2人ずつ、部屋で食事をしました」

 

そして、その晩は2人ずつ別々の部屋で夜を過ごし、その言葉どおりの結婚生活が始まった。

 

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