【前編】拒食症で体重が半分に…かつて食を恐れた少女が「みんなでおむすびを握る」ワークショップ主催へから続く
菅本香菜さん(32)は、「旅するおむすび屋」として、日本中をまわりながら、おむすびを通じて各地の人々と交流すると同時に、その土地の食文化などを発信している。立ち上げから6年の間に日本中を訪れ、インスタグラムのフォロワー数も5千人強という、今注目の“食の旅人”だ。
ゴールデンウイーク目前の4月28日(金)正午前、香川県で行われたワークショップには、農業従事者やサラリーマンなど10人ほどが参加した。多度津町特産のアスパラを使ったおむすびを握る。マイ土鍋と具材に合うお米を持参した香菜さんも、おにぎりを握るのが初めてだと話した参加者も、みんなが笑顔だ。お米のいい香りと、和やかな雰囲気が漂うワークショップはあっという間に過ぎていった。
そんな活動を続ける香菜さんだが、学生時代には拒食症で入院し、体重が半減した過去がある。みんなと一緒に食事をとれない期間も長かった。だからこそ、食の大切さを伝える旅を考え付いたのだろうーー。
■おむすびという当たり前の食べ物にこそ、知恵と愛情が詰まってる
香菜さんは大学卒業後、まずは不動産会社の営業へ。次に、クラウドファンディング会社・CAMPFIREに転職し、ローカルフード担当として全国を巡ることとなった。
「入社してまもなく出会ったのが、新潟でお米の普及活動をしていた同世代の女性。生産者の思いや地域の魅力を届けたいという気持ちが同じことに気づいて」
彼女は米、香菜さんも熊本時代から懇意にしている海苔漁師がいて、思わずこう口にしていた。
「お米とのりで、まるでおむすびだね……そうだ、これだ!」
誰にも身近で、日本のソウルフードともいわれるおむすびを通じて、いろんな土地の食文化にふれ、発信することを生業にできないだろうか。幸い、勤務先は副業もオッケーの会社だった。
そう思うや、半年後には最初のワークショップを開催し、続いて本業のかたわらクラファンで約1千万円の開業資金を集めて、’17年5月、「旅するおむすび屋」を立ち上げた。
「学校の食育の授業に参加させていただいたり、その土地の食材を使うおむすびのワークショップを開催したり。次第にSNS等を通じ声がかかることが増えていき、本業と副業が入れ替わるかたちでおよそ2年後に独立しました。個人事業主でしたから、正直、それほど気負いもなかったです」
知らない土地を訪ね、そこ特有の食文化を知るのが楽しかった。
「おむすびって、ハレの日の食事ではないから、地域のお母さんたちにとっては当たり前すぎるのか、『文化を残さなきゃ』という思いも少ないんですね。でも、そんな当たり前の食べものにこそ、その土地の知恵と愛情が詰まっている。一緒におむすびを握って私が喜んでいるのを見て、お母さん、おばあちゃんたちも、また喜んでくれている……それが新鮮な発見であり、素直にうれしかった」
各地をまわると、小さな島国にもかかわらず、実に多様でユニークなおむすびがあると知らされた。
「海のない県では、海苔の代わりに高菜や紫蘇で巻いたおむすび。青森・津軽の巨大な卵のようなおむすびを包むのは昆布だったり。徳島のスダチごはんや沖縄の炊き込みごはんジューシーを握ったり、岩手の雲丹たっぷりのカゼ飯を握るというぜいたくな味わいのおむすびもありました」
全国をまわり、さまざまな出会いを重ねるなかで、香菜さん自身も自分の故郷を思い出していた。
「拒食症になる前の中学時代、母が部活用に持たせてくれたのが、明太マヨネーズのおむすび。アルミホイルをほどくときが楽しみでした。思い返せば福岡名産の明太子ですから、私も知らずに地元の味を食べていたんですよね」
拒食症のことを、今では子供たちの前で話すこともある。
「病気は苦しかったですが、悪いこととは思っていません。営業の仕事もですが、どんなつらいことがあっても、何かの糧になることを身をもって体験したからです。私は食べることで苦悩しましたが、また食べることで救われました。だから、食を通じての恩返しも続けていきたいんです。学校をまわるのも、子供好きもありますが、やはり自分の体験から、幼いうちから食の大切さをわかっていることが大事なんだ、との思いも強いです」
香川のワークショップもそうだったが、どこか素朴で、手のひらにのるほどのおむすびを前にして、誰もが笑顔に、饒舌になる。
「『同じ釜の飯』とはよく言ったもので、共に食卓を囲むことで食も進むし、仲よくなれます。そして、地域のみなさんには、おむすびをむすぶことで、人の縁も結んでほしいと思うんです」