「さぁ、たくさん拾うんだよ!」と天野優子園長(76)の掛け声で始まった
風の谷名物「梅もぎ」。梅ジュース作りまでを子供たちが自ら行う。
スクールバスなし、給食なしなど、いまどきのお母さんならありえない、と思ってしまうかもしれない。しかし天野さんの子供のための、子供本位の幼児教育のもとで、園児たちはイキイキと育っている。
川崎の5千坪という雄大な自然に囲まれた幼稚園で、天野さんは、子供たちを自ら率いて「梅もぎ」や、自然を感じさせる行事に汗をかく。天野さんの園児にかける情熱は、決してなくなることはないーー。
「みんな、見て。梅の実がいっぱいなっているね。これが、おいしい梅ジュースになるんだよ。じゃあ、カゴを持ってくださ〜い」
天野園長の言葉に、「風の谷幼稚園」の花組(年少)、鳥組(年中)、風組(年長)の75人の子供たちがいっせいに、緑色の実をたわわにつけた梅の樹を見上げる。
「これから先生たちが、梅の実をこの棒ではたき落としますからね、たくさん拾うのよ……ふ〜っ、私もじきに77歳だからね、この棒を持ち上げるだけでモーレツに疲れるのよ(笑)。いや、泣き言は言ってられないね。さあ、みんな、がんばろう、エイエイオー!」
威勢のいい掛け声を合図に、子供たちが、樹上からボコンボコンと音を立てて地面に落とされていく梅の実に群がっていく。
よく晴れた、ある初夏の日の午前10時ごろ。風の谷幼稚園(以下、風の谷)の梅林で行われた、同園の名物行事でもある「梅もぎ」の一場面だ。
川崎市麻生区の小高い丘の上にある風の谷は、大自然に囲まれた約5千坪もの広大な敷地を持つ。また、「スクールバス・給食・延長保育」という、いわゆる現代保育の“三種の神器”がないことでも、唯一無二の幼稚園として知られる。
先ほどから梅の樹に向かい棒を振るい続け、首に巻いたタオルでしたたる汗を拭きながら、天野園長が再び大きな声を上げる。
「みなさ〜ん、もう一つ、注意点があります。梅の実はていねいに扱うのよ。このあと、みんなで梅ジュースにするんだからね」
この梅もぎもそうだが、ときに子供たちが自ら果実や野菜などを敷地内の畑で栽培・収穫し、調理までする「食」に関する行事が多いのも同園の特徴の一つだ。
文科省のデータでは、幼稚園の数は、18年の1万474施設が’20年には9千698施設になるなど減少の一途をたどっている。そんななか、風の谷は「人間としての誇りを持ってしっかり生きていく」という教育理念のもとに、あえて時代に逆行するような姿勢を貫いてきた。
卒園生には、世界を舞台に活躍するプロサッカーの久保建英選手(22)などがおり、風の谷の1年間を追った映画も今秋の公開が決まり、今改めて、このユニークな幼稚園に注目が集まっている。
梅もぎから戻ると、年長組の子供たちが、下の子の分まで、汚れたカゴを洗い始めていた。
「いつも、自然にやっていますね。年中組までに自立できていると、年長組では仲間のことまで考えられるようになるんです」
そう語る風組担任の内田灯先生(30)の顔も腕も、子供たちと同じくらい真っ黒に日焼けしている。
やがて、ひと仕事を終えた子供たちは、園の中央にある木の滑り台へ。「ウルトラマン!」と叫びながら腹這いで滑り下りたり、逆走で駆け上がる子も。天野園長は、
「ほかの幼稚園なら、『危ない』で即禁止でしょう。うちは年少のときから上の子が滑るのを見たり、自分でも怖い思いも体験して、何が身の危険がわかっているのでケガもありません」
同じく、3歳の年少組から金づちを、5歳の年長組から包丁を使うのも、自ら学ぶというテーマに沿っている。
「板に釘を打とうとして失敗する。でも釘は抜けばいいし、板が穴だらけになったら裏返せばいい。実は釘の長さも2.8cmからcmまで、年少、年中、年長と微妙に変えています。
つまり、風の谷には『失敗』の文字はないんです。そのときできなくても、じゃ、次は何かいい工夫はないかと考える。そんな子に育ってほしい」