南樺太、ウクライナ――戦争で2度「故郷」を奪われ日本へ避難した降簱英捷さん(79)
画像を見る 「78歳になって故国に帰ってきました」と語る降籏さん

 

■ウクライナと日本――。家族を引き裂く戦争は、早く終わらせなければ

 

ウクライナの現状を目にした英捷さんは現地に思いを馳せる。

 

「彼女たちが無事で生きていってくれることを祈るしかありません。ジトーミルはいまだにミサイルが上空を飛び交い、頻繁にサイレンが鳴り響く夜が続いている。いまやこの状況が日常となってしまっているのです」

 

私は軍事専門家ではなく、普通の市民である──と前置きし、英捷さんはこう訴える。

 

「戦争は絶対にしてはいけない。当初半年で終わるといわれていた戦争は2年近くも続いています。いったいいつ終わるのか。親戚同士、兄弟同士で殺し合うこともあるのです。そんな悲惨な戦争は早く終わらせなければなりません」

 

人生の変転やがん治療にも立ち向かってきた英捷さんだが、家族の身に危険が及ぶことを考えると、恐ろしくてたまらない。

 

「先の大戦でソ連が樺太に侵攻し、日本に帰れなくなった私が、晩年になってロシアの侵攻により、図らずも日本へ帰ることになった。私のことは『これが運命』とすべてを受け入れるけれど、国と国が分断され、家族が引き離されることが何よりつらいのです」

 

英捷さんが願うのは人々が国と国を自由に、そして安全に行き来できる世の中であること。ただそれだけだ。

 

【後編】ウクライナから決死の脱出 ソ連で生きてきた日本人男性の平和への願いへ続く

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