ウクライナから決死の脱出 ソ連で生きてきた日本人男性の平和への願い
画像を見る 「78歳になって故国に帰ってきました」と語る降籏さん

 

■英捷さんは心臓疾患を抱えながら、孫やひ孫たちとポーランドへ脱出

 

しかし22年2月、ロシアによる侵攻が英捷さんの運命を変えた。

 

「街の噂で警戒感は高まっていましたが、まさか本当にロシアが侵攻してくるとは。私はまったく予想していませんでした」

 

市内の集合住宅2棟が爆撃され、破壊された残骸を目にした。その数日後の22年3月5日、「インナとソフィアとともに避難してくれないか」と、孫のデニスさんに促され、その妻インナさんとひ孫のソフィアちゃん、そして大学生の孫ヴラーダさんとも合流し日本への緊急避難を決意。

 

英捷さん以外は全員女性。総動員令が発令され、18歳から60歳までの男性は例外を除き、国外へ出ることが禁じられていたからだ。英捷さんらはインナさんの父が運転する車に乗った。避難民の車列でびっしりと道が埋め尽くされるなか、ポーランドへ脱出。

 

「心臓は痛くない?」

 

狭い車中、インナさんとヴラーダさんは心臓に疾患を抱える英捷さんの体調を気遣ってくれた。

 

「大丈夫だよ」

 

2人を安心させるため、平常心でいようと英捷さんは大きく深呼吸をした。

 

西部の都市リビウまで7時間、さらに隣国ポーランドの首都・ワルシャワまでは1時間半。途中の街で泊まり、大渋滞が発生するなどし、ポーランドにたどり着いたときは8日になっていた。

 

「体調はもちました。私のパスポートの期限が切れていて。出国できないのではないかとか、『何が待ち受けているか』という心配と緊張からか、乗車中は1時間置きに停車してトイレに行かなければならなかった」

 

そして3月19日、英捷さんは、父母が望郷の念を抱きながら帰れなかった日本の地を踏むことになった。

 

「まさかこのような形で、故国となったウクライナを追われ、日本に帰ることになろうとは――」

 

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