世界最高齢アプリ開発者・若宮正子さん(88歳)銀行員時代はそろばんができない「お荷物」行員だった
画像を見る 2018年秋の園遊会に自ら考案したエクセル・アートのドレスとバッグで

 

■私は“不良”介護人だから、母の介護で家にこもっている間にパソコンにはまった

 

退職する数年前、当時90歳近かった母・鶯子枝さんに認知症の症状があらわれ始めた。父を早くに亡くした若宮さんはずっと母とふたり暮らしだった。

 

「いつもの通勤電車が事故で遅れたので、『2時間ぐらい帰りが遅くなる』と母に電話を入れました。でも、家に着くと母がいない。近所を捜しまわっても見つからない。困り果てて警察に駆け込むと、母は自宅から4キロ離れた場所で保護されていました。『娘が死んじゃった』と泣いていたそうです。退職したらなるべく家にいないといけないなと思いました」

 

彼女には、2人の兄がいるが、結婚して独立していた。重くのしかかる母親の介護……。さらに話を続けてもらおうとすると、若宮さんは「ほらほら」とこう続けた。

 

「取材する人は『さぞ大変だったでしょう』と、介護を美談として聞こうとするんですよ。とくに婦人雑誌の人は、苦労したに違いないとしつこいけど、そんなに困ったことは本当に思い出せないんです。たしかに母は、もの忘れがひどかったけど、前日と同じおかずを出しても、毎回おいしいと食べてくれるから助かりました。忘れるっていい面もあるんですよ。

 

それに私は“不良”介護人ですから、おやつを忘れることなんかしょっちゅう。1週間ぐらい母を預かってくれるショートステイを利用して、海外旅行にも行っていました。そのころだって『親を置いて旅行に行くなんて』と言う人がいたけど、そんなことに耳は貸しません。それでも母は100歳まで生きたのだからよかったんじゃない」

 

自宅にこもって母親の面倒をみることで社会とのつながりが減る人は少なくないが、その不安を解消してくれたのがパソコンだった。

 

「私がパソコンを買ったのは平成5年(’93年)だから、誰にでも扱いやすい『Windows95』が発売される前だったので、パソコンを持っている人はごく一部。でも、いろいろな人とコミュニケーションがとれるというのが魅力で。家に閉じこもってしまい、人と自由に会えなくなるのが不安だったんです」

 

周辺機器を含めると40万円ほど。衝動買いだった。

 

「私の周りには『それだけのお金があったら桐のたんすに上等な着物が買えるのに』と言う人もいましたが、もちろん取り合いません。とはいえ、パソコンなんて会社でも触ったことがなかったから、使えるようになるまで3カ月ほどかかりました。そして、パソコン通信のシニアコミュニティ『エフメロウ』に入会しました」

 

母の介護のかたわら、シニア向けのコミュニティでデジタルの知識を身につけた。若宮さんいわく「聞けばなんでも教えてくれるインターネットの老人会」だったとか。俳句や都々逸といったアナログな趣味も広がった。

 

そして、このエフメロウはインターネットの普及とともに「メロウ?楽部」と名前を変え、その立ち上げに若宮さんも関わることに。今では、新しい仲間に、デジタルを楽しく遊んでもらうための手伝いをしている。

 

「たとえば表計算ソフトのエクセルについて、普通シニア向けの講座では家計簿や血圧をグラフ化する方法を教えています。マニュアルや手順を覚えてもシニアにとってはちっとも楽しくありません。エクセルって、縦横に線が引いてあって四角い箱が並んでいるように見えますよね。ふと、そこに色を入れたら面白いんじゃないかと思ってエクセル・アートを試してみました。絵心のない私でも面白い文様ができるし、パソコンを使ってみようという気になれるはずです」

 

当初は「(そんなものは)エクセルができない人がやるものだ」とバカにする声もあったが、なんと開発元のマイクロソフト社から「エクセルの新しい分野を開拓した」と絶賛されることに。そんなエクセル・アートでデザインしたドレスを着て、平成最後の秋の園遊会にも参加した。

 

【後編】最高齢アプリ開発者・若宮正子さん(88歳)ティムクックにも直談判! 81歳からの超サクセスストーリーへ続く

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