■日本とNYの2拠点生活。スキーや釣りを夫婦で楽しむサードライフを満喫
再婚後のサードライフは、まさに充実の日々だ。アメリカ7カ月、日本5カ月というサイクルの2拠点生活。イーゴさんはすでに退職し、夫婦で行動を共にしている。
「日本にいる間は、お菓子教室の合間にスキーざんまい。スキーはイーゴと出会って本格的に始めたんですが、やればやるほど面白くて、今では生活の一部です」
NYでは、朝起きるとイーゴさんと一緒に釣りに出かける。
「彼の口癖はシェア。そして目線は“We”なんです。なんでも分け合い、何かをしたら『We did it』。そんなふうに言ってもらうと、温かいものに包まれて、優しい気持ちになり、一人の生活では気づかなかった何げない歓びがそこここにあふれているのを感じます」
NYのアパートは多民族が暮らす地区にある2LDK。頻繁に子ネズミや、小さなゴキブリも出る。広くはないが、そこで夫の両親と同居している。
「義父母はとても人柄のよい人たち。実直で尊敬できます。義母は料理上手で、ウクライナのボルシチや野菜たっぷりのサラダを作ってくれます。私たちは釣ってきたお魚でお刺身を作り、食卓は賑やか。
同居は大変なこともありますが、ストレスはうまく回避できている。こんな義父母とめぐり合えて“棚ぼたやったなぁ”と幸運を歓び、いろいろ面白がって生活しています」
義父母もアメリカとウクライナを半年ずつ行き来していたが、2022年2月、ロシアがウクライナに侵攻し、それは叶わなくなった。
「NYで義父母と夫、義弟家族が集まると、ウクライナ語で議論が始まり、ウクライナ語のわからない私は蚊帳の外。時々夫が通訳してくれますが、彼らの思い、プーチンへの怒りは、想像はできても、真に理解するのは難しい。彼らはロシア語も話せます。でも、今後一切ロシア語は話さないと言ったことがとても印象的でした」
そう言って、30cm以上身長が高いイーゴさんを見上げた。
「私はロジカルではないが、自分の勘でここまでやってきました。元々“人生はなるようにしかならない”との考えが根底にあり、“上げ潮は全ての船を持ち上げる”と、人生を歩んできたような気がします。また、願っても叶わぬことは神の領域。積極的に待つ、が信条です。節目節目で、ありがたいご縁をいただき幸運だったと思います」
平野さんの胸元には、ウクライナ国旗のバッジがつけられていた。
「ウクライナの家庭料理の本のオファーをいただいて思いました。
本を通して、安心して美味しく食事ができることが何より幸せであると感じてほしい。その当たり前の幸せを奪われたウクライナの人々に思いを馳せてほしい、と。
ウクライナ人の夫と日本人の私が出会ったこのご縁の意味を今後も考えていきたいと思っています」