「向こう三軒両隣」は私が守る!マンモス団地の女性自治会長の奮闘
画像を見る 「行政に頼らずに、自分たちでできることは、自分たちでする。この精神なくして、自治会活動はあり得ません」佐藤さん(撮影:五十川満)

 

■違法駐車をした車に貼り紙をしたら持ち主の男性が「ぶっ殺すぞ!」と

 

「自治会活動について、まず母親として思ったのは、主催イベントが、夏祭りと運動会しかないこと。年に2回集まるだけじゃ、住民同士の顔も覚えられません。

 

次に、役員に女性がひとりもいないこと。外で活動するのは世帯主というのが当時の常識でしたから、自治会もおのずと男性だけ」

 

そしていちばん引っかかったのが、お金の問題だった。

 

「これだけのマンモス団地で自治会費も相当な金額になるはずですが、どうも使い道が不透明。すし屋なんかで会合してるのも、『あれは自治会費で飲み食いしてるのでは』という噂が流れていたり。

 

それでも誰も、『おかしいのでは』と声を上げなかったんです」

 

転機は、末っ子の次男が成人した翌年の1996年に訪れた。

 

「このままでいいのかと、ずっと思い続けていました。ちょうど子育ても一段落して、よし、中から変えていくために私が役員になろうと思い、54歳で自治会の区長に立候補して当選します。これが私の自治会役員デビューとなります」

 

早速、手をつけたのが会計だった。

 

「帳簿を見た瞬間、おかしいと思うことばかりでした。使途不明金はもちろん、明らかに偽造された領収書なども見つけたり。今までの担当者は変だと思いながらも、昔からの慣習で黙ってハンコを押していたんでしょうね」

 

なにやら最近も話題となっている政界のニュースを思い出させるが、その結末はまったく違う。

 

「でも、私は見逃せなかった。猛烈に抗議して、『これでは総会など開けません』と主張しました」

 

いわばパンドラの箱を開けてしまったわけだが、佐藤さんは、そのことで潰されはしなかった。

 

「そんな私の姿を、以前から『このままではいけない』と思っていた人たちが見ていたんですね。2年後に、周囲に押されるかたちで副会長に就任します」

 

そして翌1999年4月、推薦投票で会長に就任。大山団地で初の女性会長で、57歳のときだった。

 

「すぐに“向こう三軒両隣”の精神を提唱し、目指したのは、私たちが引っ越してきたときに味わった“お互いさま”のコミュニティ作りでした。

 

というのも、ここ大山団地もいよいよ、そうした助け合いの精神が時代の進展とともに失われているように感じていたからです」

 

以降、ことあるごとに佐藤さんは住民たちに呼びかけていく。

 

「せめて自分の両隣だけでも、いつも声かけしてください」

 

もちろん精神論だけでなく、改革は“自治会費納入率100%”や“住民名簿の充実”“趣味サークルの立ち上げ”など、具体的かつ生活に密着したものばかりだった。

 

「会費納入率100%達成は、よそではそうはいかないと思います。これも振り込みにしないで、各班の班長が集金に出向くようにしました。実は、安否確認の目的もある。顔を見て、『変わりないですか』『ご苦労さまです』の挨拶を交わすのが大事なんです。

 

“人材登録”も、眠っている技能や資格の活用になります。住民のなかには着付けや通訳など各分野のプロも多かった。その才を催事などで適材適所に生かすわけです」

 

“違法駐車撲滅”では、こんな騒動も巻き起こった。

 

「路上駐車の車に『移動させてください』と貼り紙をしたら、自動車にガムテープの跡がついたと男性が怒鳴り込んできて、最後には『ぶっ殺すぞ!』と。『ひとりで話し合いに来い』と言うから、夫は心配しましたが、私は行きましたよ。最後は、女ながら引かなかった私を認めてくれましたが」

 

団地内に落書きが横行し、中学生らの仕業と判明したときには、地元の中学校へも行った。

 

「落書きは30カ所もあって、修繕費の見積もりをしたら200万円とも。それで話し合いに行ったと言えば聞こえはいいんだけど、実際は朝礼に乗り込んだ(笑)」

 

中学校の体育館で、生徒たちを前に佐藤さんは訴えた。

 

「私に5分ください。犯人捜しをしたいわけじゃない。社会には大人だけでは守れないものもあるから、若いみんなの協力も必要と思っているんです」 その後、4人の生徒が自分たちがやったと名乗り出たばかりでなく、100人以上の生徒がボランティアで清掃に協力してくれた。

 

威勢のいい話が続いたが、その裏側では初の女性会長に対して、陰湿な嫌がらせもあった。

 

「『生意気だ』『男が会長になれない自治会なんて情けない』という中傷ビラがまかれたり、自宅の郵便受けにヘビを入れられたり、自転車をパンクさせられたり。

 

ただ、私は何があっても、いま団地に必要なことを考え、それを実行していくだけ。会長の椅子にデンと座ってるのじゃなくて、自ら夜間にゴミ拾いをしていたら、『会長さんは忙しいんだから、私がやるよ』と、みんなが手伝ってくれるようになりました」

 

例の「ぶっ殺すぞ」の男性との間にも、こんな後日談が。

 

「その人も、最後には自治会活動で私を助けてくれるようになりました。文句を言う人ほど、孤独を抱えているもの。最初は挨拶して無視されても、声をかけ続ければ、やがて『こんにちは』と返ってくるようになるんですね」

 

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