3月下旬に工房での仕事を再開した塩士正英さん(撮影:須藤明子) 画像を見る

【前編】元日の地震で被災は3度目…輪島塗「藤八屋」を何度でも立ち上がらせる思いから続く

 

「これは去年の大晦日の夜、山本町の工房兼自宅です。いまは海外で暮らしている娘家族が帰省してきて。みんなで『紅白』を見て、それからお蕎麦をいただいて……」

 

そう話すのは、塩士純江さん(67)。純江さんの夫・正英さん(76)は、明治時代から輪島塗の製造と販売を手掛ける、「藤八屋」の3代目だ。藤八屋は、今年1月1日に発生した能登半島地震で壊滅的な被害を受けた。その地震の前日、年の瀬の塩士家には、例年どおりの、幸せで穏やかな時間が流れていた。

 

「元日の朝、帰る娘たちを送って能登空港まで行って。市内に戻ってから本店に立ち寄り、店の明かりだけつけて。それから2人で神社とお寺、お墓にお参りしました」

 

午後、本店に戻ると、特に持病もなかった正英さんの体に異変が起きる。

 

「急に『目が回る』と言って。『うっ、うっ』と、えずきだして」

 

しばらく横になっても症状は治まらず、脳梗塞などの大病を疑った純永さんは、正英さんを車に乗せ救急外来に。そして、正英さんがMRI検査を受けた直後だった。

 

「ストレッチャーに乗せられ、検査室を出てすぐでした。大きな揺れが突然来て。あまりの揺れにストレッチャーが横倒しになってしまって、私は床に転がり落ちました。大きな病院の建物がギシギシと揺れて、恐ろしかった」(正英さん)

 

最初の揺れのあと、正英さんは車いすに乗せられ、外に出された。余震が続くなか、院内は照明が落下するなどの危険があったためだ。

 

「病院の外で待機しているときだったかな。消防車のサイレンの音が聞こえてきて。『いやだ、火事かしら?』って思ったんです」

 

そう話す純永さん。同じころ、本店の向かいに住む人から電話が入った。「藤八屋は大丈夫、ちゃんと立っとる」と教えてくれた。「火の手は海側に向かってる」とも。ところが十数分後、また同じ人から、恐れていた知らせが届く。「燃え始めた」と。

 

そこから先は、暗澹たる気持ちを抱えたまま車中で過ごした。あたりが暗くなってくると、朝市の方角の空が赤く染まるのが見えた。

 

「車載テレビでニュースを見ていたら、まさにうちの本店が燃えている映像が流れていて。何時ごろだったかな、夜中に近づけるところまで、と車で朝市のほうに向かったんですよ」(純永さん)

 

そのころから、2人の心は「シャッターが下りたような状態」(純永さん)になった。燃え上がる町を遠目に眺めても「うちが燃えとるんやな、としか思わんかった」と正英さん。純永さんも「泣きわめくでもなく、ただ『終わったな』という感じだった」という。それは翌朝も同じで、思いの丈を詰め込んだ店の焼け跡を前にしても、不思議と涙も出てこなかった。

 

「2人で見に行きましたけど、言葉も出てきませんでした。あまりに呆気なく、なにもかもがなくなってしまって。なんだかまるで、夢の中にいるようで」

 

山本町の建物は残ったが、壁が崩落するなどあちこち傷んでいた。1月中は余震が怖くて、ずっと車中泊をしていた。カセットコンロで煮炊きをし、飲料水は避難所の給水車から。用便は凝固剤を入れた袋をトイレにかぶせて済ませた。幸いなことに、正英さんの体調は回復。検査結果も異常なしだった。

 

藤八屋は07年3月に発生した大きな地震でも被害を受けているが、このとき同様、支援、応援の声は全国から届いた。

 

「私たち、東日本大震災のあと、宮城県の2つの鰻屋さんに漆塗りの重箱を100個ずつかな、お届けしたことがあるんです。再建に役立ててほしいと。そのお店の方たちが今回いらしてくれたんです。本当にありがたかった」(純永さん)

 

ミシュランで星を獲得した東京・南青山「NARISAWA」のオーナーシェフもいち早く輪島に駆けつけ、炊き出しをしてくれた。ここも、藤八屋の漆器を使う名店の一つだ。正英さん、純永さんが作る器を愛用している彼らにとって、今度の被災はまさに自分ごとなのだ。正英さんは少しだけ?を緩めると、こう言葉を継いだ。

 

「そうですね、だから『一刻も早く、仕事を再開してくれ。頑張って続けてくれ』と言われます」

 

そして3月25日。正英さんは山本町の工房で、仕事を再開した。そのときの率直な感想を尋ねると、正英さんは照れ隠しなのか、こんなふうに答えた。

 

「いや、勘は少し鈍っていたし、しばらく使ってなかった部屋が冷え切ってしまって、漆がなかなか乾かなくて、難儀したね」

 

横で聞いていた純永さんが、夫の気持ちをこう明かしてくれた。

 

「だけどお父さん、ほら、初めて上塗が終わったのが4月の最初のころだっけ、わざわざ私のところまで来て言ってたじゃない。『塗れたぞ!』って、すごく嬉しそうに言ってたじゃない」

 

妻の言葉に、夫は頭をかいた。

 

「やっぱりね、日常というのはありがたいです。日常の仕事ができる、それだけで……、幸せですよ」

 

“いいものを作り続けて、輪島塗を守る――”、輪島の地で苦難を乗り越えながら重ねてきた年輪、そして希望が、「藤八屋」の漆器には塗り重ねられている。

【関連画像】

関連カテゴリー: