■病院の統廃合が進み、搬送された患者はたらい回しに。僻地医療の危機を肌身に
「昼間は外来、夜は病院が用意してくれたアパートで待機するオンコール勤務でした。何もなければアパートで過ごしますが、急患が入るとそうはいきません。私は“引く”タイプで、夜間に急患が来ることが多かったです」
仕事はすごく大変だったが、富良野に通いだした5月くらいはチューリップがきれいに咲き乱れ、すぐに気に入ってしまった。
「冷え性なので富良野の仕事は10月までだと病院側に伝えたんですが、結局、11月以降も続けることに」
オンコールのときに待機するアパートは、家族も利用できるというのが病院のウリだった。
「それで週末を利用して、夫と娘2人も富良野へ。子供たちはパウダースノーに大喜びでした。
掃除が行き届かずに夫と私が言い争うことがあった自宅より、自然の中で家族で過ごす時間は、対人恐怖症があり不登校になっていた長女にとって、心の治療になったんじゃないかと思います。
種子島の病院でも『不登校の娘を連れてきたい』と言うと、快諾してくださり、当直室のベッドや、病院食も用意してくれました。早めに現地到着して、仕事前に半日観光して宇宙センターに行ったことも、思い出です」
フリーの医師は、患者とは一期一会になりがちだが、時間が許せば、とにかく患者の話を聞く由紀子さんを慕う人は少なくない。
人口あたりの医師数がもっとも少ない都道府県である埼玉県のある病院では、70代女性に出会った。
「血圧など内科治療の通院でいらっしゃった患者さんから、診察が終わった後に『じつは胸に気になっているしこりがあるんです』と相談されたんです。男性医師より、話しやすい女医だったから話してくれたのかもしれません」
触診するとしこりがあったが、それだけでは悪性か良性か判断できないため、すぐに他病院の乳腺科への紹介状を書いた。結果、乳がんであることがわかり、速やかに手術することができた。女性患者は「先生のおかげで助かった」と喜び、その後も由紀子さんの外来日に合わせて通院してきた。
「リンパ節を切除したこともあり『手がしびれる』と訴えていたので、乳腺科の治療の邪魔にならないように漢方薬を処方したり、お話を聞いたりしていました。病院との契約期間が切れるときお別れの挨拶をすると、涙ぐまれてお礼を言われて……。医師冥利に尽きます」
一方、僻地に足を運ぶたびに、僻地医療の危機を肌で感じることになる。
「北海道のある病院では、救急搬送はひっきりなしで、その場その場で検査をして診断をつけて、各科に回していたんです。5年前なら救急車を断らなかったんですが、最近では各科の医師が確保できなくなって、救急車を断らざるをえなくなりました」
その言葉どおり、2019年には厚生労働省が424もの公立・公的病院に再編を要請したことが報じられた。公的病院の25%がその対象となり、由紀子さんが勤務したことのある病院の全てが含まれていたという。
「病院の統廃合が進み、これまで車で20~30分の場所に医療機関があったのに、1~2時間かかるようになったという人も増えました。私が勤務する別の地域では、3つあった救急対応の病院の1つが経営難で別の医療法人に身売りされ、高齢者専門の病院になりました」
そのしわ寄せは、残りの病院にやってくる。ある夜、2人の急患が搬送されてきた。
「意識を失っていて、かなり厳しい状況。お2人ともお看取りとなったため、家族を呼んでお別れをしてもらいました。そんなとき、近隣の救急病院から『肺炎の患者がいます。こちらはより高度な3次救急なので、そちらで診てくれませんか』と連絡がありました。
そうは言われても、ベッドが埋まっていたし、お亡くなりになった方のベッドはスタッフ不足で掃除ができない状況。
それでもスタッフが『なんとか1人なら』と受け入れ態勢を作ってくれたんです。搬送された患者さんは90代で40度の高熱。移動させること自体リスクがあるのに、たらい回しせずにはいられないほど、医療体制が厳しい状況なんです」
由紀子さんにとって、驚きとショックが大きかったのは、北海道の別の病院でのことだ。
「非常勤の先生が多く、全国から医師が派遣されてくる病院ですが、すごく親切で仕事熱心な職員さんがいたんです。
いつもお世話になっていたし、ほかの先生と一緒の車での送迎時には『桜と雪と海が一緒に見られる場所があるんです』って、とっておきの場所に連れていってくださったりしたんですね」
だが、由紀子さんが道内の近隣の別の病院で勤務しているとき、その職員は循環器疾患で急逝。
「すぐに治療しなければならない病気だったのですが、朝の9時過ぎに症状を訴え、治療できる病院に搬送されたのが昼過ぎだったそうです。医師からも『これが地域医療の現実だ』『都会の感覚とは違うんだ』という声があって、すごく悔しくて……」
ともに地域医療を支えていた仲間を失ったことで、僻地医療への思いをさらに強くした。
「たった1人でできることは限られていますが、これからも続け、若い医師に少しでも魅力を感じてもらえるように発信していきたいんです」
(文・取材:小野建史)
【後編】“空飛ぶママさんドクター”を作った父の病と自衛隊員としての猛訓練へ続く