■「何をすれば最期のときに後悔しないか、家族と過ごす時間がすごく増えました」
「大村さんは遺族の話を聞いただけで故人の性格や癖まで想像して描いてくれます。母は生前、よく両手でピースサインをしていたんですが、その癖を、何も伝えていないのに、大村さんはしっかり描いてくれた。本当に驚きました」
こう話すのは、首都圏在住の田宮直子さん(58・仮名)。田宮さんは2枚の絆画を依頼した。1枚は2021年に亡くなった母の絵。そして、もう1枚は……。
「20年前、29歳で自死した弟の絵です。当時からずっと、姉としてもっと支えてあげられたはずと悔やみ続けていました。苦しい思いで亡くなった彼の、笑顔を思い出したかった。
でも、私の実家は少し複雑で家族写真がなく、シャイな弟が笑っている写真も……。それで絆画をお願いしたんです」
できあがった家族でバーベキューを楽しむ絆画には、母に腕を組まれ照れくさそうに笑う彼がいた。
「『姉ちゃん』と私を呼ぶ弟の声が聞こえてくるみたいで、心安らかになりました。
以前は彼を思うと、真っ先に浮かぶ言葉が『ごめんね』だったのが、いまは『ありがとう』に……。自分のことが許せるようになったのかもしれません」
田宮さんの弟のみならず、大村さんは自ら命を絶ってしまった人の絆画を描くことが少なくない。
「いじめを苦に自死した少女の絆画を描いたことがあって。依頼者であるお母さんは『二度と私のような思いをする人を生まないため、娘が通っていた学校で、子どもたちに向けて話をしたい』と話していたんです。
でも、結局は学校からOKが出ず断念された。その話を聞いて思ったんです。同じような親御さんの思いをたくさん聞いてきた僕が、代弁者として語ってもいいんじゃないか、僕にできることがあるんじゃないかって」
こうして、大村さんは絆画制作のかたわら、2020年から「遺後(いのち)の授業」を開始。
月1回のペースで各地の学校を巡り、小学6年生から、高校生までを対象に、子どもたちの自死を少しでも減らすため、絆画を通じて知った、遺された人たちの悲しみを紹介している。
「ご遺族のエピソードをもとに、『みんなそれぞれに大切に思ってくれている人が必ずいます』と伝えます。その後は絆画を見てもらいますが、ときには『亡くなった家族の絆画を描いてもらえませんか』と声をかけてくる子もいます」
取材も佳境に差し掛かり、記者が将来の目標を問うと、大村さんは少し考えてから、口を開いた。
「かつては売り上げ目標とか立てて躍起になってましたが、いまは夢や目標は考えなくなりました。
わが子と親友を亡くし、絆画の活動を経て『ゴール=死』というのが僕には明確になっちゃいましたから。そこから逆算し、何をすれば最期のときに後悔しないか、それだけなんです。結果、家族と過ごす時間がものすごく増えました」
晴れやかな笑顔で語った大村さん。彼の言葉に「たしかにそうかも」と相槌を打ったのは、インタビューに同席した妻だった。
「以前は忙しくて家を空けることの多かった夫ですが、最近はそばにいてくれる時間が増えました。性格も穏やかに、こちらの気持ちに寄り添ってくれるようになった気がします」
ほほ笑む仁望さんに、背後の壁に飾られている絆画について改めて尋ねると「最初は直視する勇気がなかった」と打ち明けた。
「でも、いまでは心の支えです。毎日、絵を拝んだりこそしませんが、部屋にこの絵があるだけで、息子の存在を実感できるんです」
夫妻は、夏生まれの長男に「夏音(なつね)」と名付けていた。
「夏音、もう6歳なんです」
穏やかな笑みとともに、絵のなかの息子を紹介した仁望さん。すると今度は、大村さんがその愛息に向かって、優しく語りかけた。
「来年は小学生だね、夏音」
(取材・文:仲本剛)
画像ページ >【写真あり】親友の母の“心残り”をきっかけに生まれた“絆画第一号”(他2枚)
