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永麻里(以下・麻里)「父は、最後まで車いすでないと外へ出られない状態で、さぞやつらかったろうと思います。日本や海外を自分の足で歩き回って、歩き回って、肌で感じたこと、思ったことをずっと発信してきた人でしたから。でも、父は『つらい』とはひと言も言わなかったし、言わないだけによけい父の気持ちを察して……。ですから、亡くなったときは『重い体から自由になった』と半分ホッとしました。正直言うと」

 

豊田チカ(以下・チカ)「私も同じです。父は、最後のころはつらかったですから。私も安心したというか、『パパ、やっと楽になれたね』と思いました」

 

日本の放送界の“盟友”として親交も深かった故・永六輔さん(享年83)と、故・大橋巨泉さん(享年82)はくしくも同じ’16年7月に永眠した。故・永六輔さんは2005年にパーキンソン病を患い闘病生活を続けたが、7月7日に逝去。そして、故・大橋巨泉さんは’05年に胃がんを発症。その後、中咽頭、リンパ節、肺にもがんが見つかり闘病生活を続けていたが、永さんの死からわずか5日後の7月12日、逝去した。

 

そんな、放送界の“二大巨星”の娘、永六輔さんの次女でアナウンサーの永麻里さん(55)と、大橋巨泉さんの次女でジャズシンガーの豊田チカさん(55)が「父との別れ」を明かしてくれた。

 

麻里「父は、お医者さんが『お父さんは亡くなったことに気がついていないかもしれませんね』とおっしゃるくらい眠ったまま逝ったんですね」

 

チカ「よかったですね。苦しまなくて」

 

麻里「巨泉さんはご自分の体のことをきちんと把握していて、治療も何もかもご自分で決めていらした方でしたよね。たぶん、亡くなったときも、『俺はいま、この世を去った』と把握していらして。逝ってみたら、父が、まだそのへんをウロウロしていて――」

 

チカ「『おお、永ちゃん!』『巨泉、どうした?』(笑)」

 

麻里「そうそう。『永ちゃん、俺たち死んだんだよ。三途の川を渡ろうぜ』と言って、父の手をしっかり握って川を渡ってくださったんじゃないかという話を姉としました。そういうことを想像すると、いまは――息子たちのことを考えると、この世に未練はありますけど、向こうには父も母も、巨泉さんをはじめ知っている方もたくさんいらっしゃいますので。私、死ぬのはぜんぜん怖くないんですよ」

 

チカ「『死』をもってしても子どもに何かを教えてくれる。親ってありがたいですね」

 

麻里「父は『死を見せることが、親が最後にできることだ』と言ったり、書いたりしていましたけど、姉や私、孫たちに『立派に死んでみせてくれた』とすごく思いました」

 

チカ「天国で、娘たちが上を向いて歩いて、笑っているのを見て、永さんも、父も喜んでいますよ」

 

麻里「『父が、私の脊髄にヒュッと入ってきた』と思うときがあるんです。(8月30日に青山葬儀所で行われた)『お別れ会』のときもそうでした。私は永家を代表して黒柳(徹子)さんや久米(宏)さんをはじめ各界の重鎮の方たちの前でご挨拶させていただきましたが、『あ、いま父が来ている』と思ったら、気持ちがスーッと落ち着いて。原稿も見ずに、ニコニコしながらご挨拶ができたんです。だから、亡くなってから、ものすごく私の血となり、肉になっているな、という感覚がすごくあって……」

 

チカ「わかります。毎年10月に、私の地元・阿佐ヶ谷(東京都杉並区)で行われている『ジャズストリート』に、今年も出させていただきました。その会場に、ふと見たら父と、一昨年の12月に62歳で逝ってしまった夫がいて。まるで『私を見守る』という感じで……」

 

麻里「だから、ぜんぜん死んでないんですよね」

 

チカ「死んでいませんよ!」

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