“3代目スケバン刑事”大西結花が当時抱いていた疑問「折り鶴で人を倒せるの?」
画像を見る 19歳のころの大西さん

 

■芸能界デビューのきっかけは“ローラー族”

 

そんな憧れを語る大西さんはこのころ、歌番組を見ては松田聖子の衣装に魅せられ、“いつかはアイドルに!”という夢を抱くようになる。その足がかりとして、新聞広告で見つけた劇団のオーディションにも挑戦。

 

「合格はしたのですが、入団時に何十万円もの入学金が必要で、母に伝えると、『本当にあなたのことが劇団に必要なら、“何十万円も払え”なんて言わないでしょ!』と一蹴されました(笑)」

 

ちょうどその時期、休日のたびに大阪城公園では、東京の原宿同様に竹の子族や、ロックンローラー族が集まっては踊っていた。中学生だった大西さんも、よく顔を出していたという。

 

「“お姫様願望”の延長だったのか、ふわふわしたファッションが好きで。それで’60年代のオールディーズのような、ポニーテイルにふわふわしたドレス姿で見学していたんです。するとローラー族のお姉さん方が『あなたもこういうファッションが好きなの? 私たちのグループにおいでよ』と誘ってくれて。中学生だったからマスコットガール的に扱ってもらえて、全国的にこうしたグループが参加するミスコンにも出場することに」

 

それがきっかけとなり、芸能事務所にスカウトされ、中学卒業を機に上京。

 

「5月には、デビュー作となるドラマ『家族の晩餐』(’84年・日本テレビ系)のオーディションに合格し、撮影に臨むことに。天現寺(東京都港区)に住む女のコの役だったので、関西弁だった私はイントネーションに苦労しました」

 

女優デビュー後は順調で、すぐに映画『台風クラブ』(’85年)にも抜擢。続いて『アラベスク・ロマネスク』(’85年)で念願のアイドル歌手デビューを果たすがーー。

 

「私はアイドルに憧れていたわけではなく、アイドルのお姫様のような衣装に憧れていたので、用意していただいた、ストンとした形でフリンジがついたワンピースを見て愕然と。嫌だ嫌だというのを、事務所の社長に『これ、何十万円もしたんだぞ』となだめられました。恥ずかしくて、デビュー時のキャッチフレーズ(編集部注・“不思議チック少女”)さえ言いたくありません(笑)」

 

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出典元:

WEB女性自身

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