幼いころから芸能界への憧れを抱いていたという穴井夕子さん 画像を見る

住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう! わかる」って盛り上がれるのが、青春時代に夢中になったドラマの話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。

 

「芸能界を目指して16歳で上京した当時、リアルタイムで見ていたドラマが『東京ラブストーリー』(’91年・フジテレビ系)。“すれ違い” “切ない”という共通点から、『冬のソナタ』(’02年)などの韓流ドラマにハマるきっかけにもなった、私の“ドラマ史”の原点です」

 

こう語るのは、タレントの穴井夕子さん(48)。大分県・湯布院の隣町で生まれ育ち、幼いころから芸能界への憧れを抱いていた。

 

「テレビは『ザ・ベストテン』(’78~’89年・TBS系)を欠かさず見ていて、松田聖子さんやテレサ・テンさんの曲、演歌などをマネして歌っていました。父が建設業を営んでいて、年末に自宅で忘年会をするのですが、私がカラオケで歌うと『うまい、うまい』とみんながほめてくれるんです。それがうれしくて、将来は歌手として活躍したいという気持ちがありました」

 

ジャニーズも好きで、『仮面舞踏会』(’85年)から少年隊のファンになり、光GENJIへ。

 

「とくにバンジー(山本淳一)のファン。小6か中1の夏休み、お祭りの屋台で“光GENJI全員の電話番号”が1万円で売っていました。何人かでも電話がつながって、ファンレターを送ることができれば満足だと思ってドキドキしながら電話をしたんですが、もちろん、すべて『この電話番号は現在使われておりません』(笑)。でも、私が芸能界のお仕事を始めてから、山本さんとテレビ局でお会いしたとき、たまたま夫(プロゴルファーの横田真一氏)と幼馴染みだったということもあって、山本さんのほうから電話番号を渡していただけたんです!『あのときの1万円が返ってきた』という気持ちです(笑)」

 

中学生になったころから、オーディション情報誌『月刊デ☆ビュー』(オリコン・エンタテインメント)を購読。

 

「どんなオーディションでも全身と顔の写真が必要なので、のりピーの追っかけをしていた姉の友達に撮影してもらって。それがすごく上手に撮れていたから、予選は通過することが多かったです」

 

若手アイドルの登竜門ともいわれる「全日本国民的美少女コンテスト」では最終審査の10人に残り、「ロッテ CMアイドルはキミだ!」では2位の成績を収めた。

 

「でも、グランプリとか賞を取るまでには至らなくて……。そんななか『デ☆ビュー』の編集長がレコード会社を紹介してくれて、レッスン生になることができました。高校入学を機に上京、姉とワンルームマンションで暮らすことに」

 

東京に出てくればスターになれると意気揚々と新生活をスタートさせたものの、すぐにホームシックになってしまった。

 

「今振り返ると、16歳は早かったのかもしれません。引っ越してきた初日から寂しくて、帰りたくて。実家に連絡するときも、家の電話だと泣いちゃって電話代がかさむから、近所の公衆電話からかけて、つらいことは話せませんでした」

 

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