■妻から「残された数少ない日々を、同じ一つ屋根の下で過ごしたい」という手紙をもらって
「いつ人生が終わってもおかしくないからこそ、朝、目覚めたときに今日生きていたなという実感があります。同時に、今日も生きなきゃいけないなというしんどさが」
相変わらず自嘲的に語るものの、小椋は余生のプランもしっかり見据えている。
「生活必需品じゃない歌なんてもので経済的に支えられてきたのだから、感謝の気持ちを込め、ある種の社会還元をやろうと思って。次世代の人たちの舞台、芸術創造の基地を造っているんです」 私財13億円を投じ、子供ミュージカルや劇団のリハーサルや稽古場として利用できるスタジオビルを、都内に建設中なのだ。
「小さなライブ用のスペースがあるから、春夏秋冬に各1回くらいのゆっくりしたペースで、ボクのライブもやりたい。そのために、78歳からの手習いとして、週1回1時間、ピアノレッスンを受けているんです。でも、ボクはよっぽど楽器が嫌いなんだなあ。自己練習ってやらないから、ぜんぜん進歩しない」
20年続いた妻との週末婚生活も、昨年のクリスマスに解消し、再び同居している。
「家内から『私は残された数少ない日々を、同じ一つ屋根の下で過ごしたいと思います』という手紙をもらったんですよ」
そんな佳穂里さんが、新たな同居生活の感想を語ってくれた。
「ようやく普通の夫婦の生活に戻りましたが、一緒の時間が増えた分、衝突することも……。そこは歩み寄って、お互い感謝できる人生を歩みたいですね」
“もういいかい”と小椋は自嘲気味に語るが、その余生は、まだ燦々と輝いている──。