ファイナルコンサートでは自叙伝で描かれた、これまでの音楽人生が思い出されたという小椋さん 画像を見る

【前編】シンガー・ソングライター小椋佳 もう燃え尽きた…でも、余生も愛燦燦より続く

 

その最後のステージは、観客席を埋め尽くしたファンからの万雷の拍手が湧き起こり、幕が上がった。ステージ中央で選びに選んだ名曲を歌い上げる小椋佳(79)。心に染み入るような声に衰えは感じない。アンコールでは、壮大な『山河』を歌い上げ、『SO-LONG GOOD-BYE』で締めくくる。

 

50年以上に及ぶ輝かしい音楽人生を締めくくったのは、’21年11月にスタートしたファイナルツアー「余生、もういいかい」の42公演目となる最終日、1月18日。

 

万感の思いが押し寄せたのだろう、サングラスからのぞく小椋の目尻からは、光るものが。

 

そして最後の曲を歌い切ると、両手を合わせ、客席へ深々と頭を下げ、確かな足取りでステージを下りた。

 

希代のシンガー・ソングライター、小椋佳。

 

東京大学法学部を卒業後、日本勧業銀行(現・みずほ銀行)に入行してエリートコースを歩む一方、表舞台に出ないアーティストとして活躍。甘い歌声が魅力だが「楽譜は書き起こせないし、楽器も苦手」という異色の音楽家だ。

 

小椋佳(本名・神田紘爾)が生まれたのは’44年1月18日。音楽の素養は、父親譲りだったという。

 

「今の若者がギターを弾くように、はやりものだった琵琶が好きでね。琵琶を持ち出しちゃあ、歌ってましたね。で、これはうまかった。味のある声でね。コブシも品のある、いい歌だったなあ」

 

学校の行き帰り、トイレや風呂の中でも、いつでも流行歌を歌っていた。

 

「鶴田浩二さんは耳を押さえて自分の声を聴いたっていうけど、ボクは学校で黒板に口を近づけて、跳ね返ってくる自分の声を聴いてた。おかげでPTAでは変な子がいるって問題になったんですよ」

 

次ページ >銀行に就職するも「創造的な活動をしたい」と曲を作り歌ううちデビューが……

【関連画像】

関連カテゴリー: