25年ぶりに新作が公開 映画監督・君塚匠「55歳で僕もADHDと診断。生きづらさの理由がわかった」
画像を見る 5月25日に富山市で行われたイベントで主演の内浦純一さん、蜂丸明日香さんらとトークを繰り広げた君塚監督

 

■ADHDと診断され腑に落ちた

 

10年にも及んだ“ひきこもり”時代が急に幕を閉じたのは「父の死(2010年)がきっかけだったのではないか」と姉の清美さんが言う。

 

「葬儀などで外に出なきゃならなくなると、弟が急に覚醒したように私は見えました。パッと表情が変わったように思えたんです」

 

当時のことを、君塚さん自身は「劇的な変化」とは捉えていない。“暗黒時代”が明けるのは、本人の記憶では「2012年ごろ」という。

 

「ある日突然、スルリとシャツに腕が通せたんです。それで『社会復帰できる!』と思いました」

 

とにかく“ひきこもり”から抜け出すことができた。そこで「手始めのつもりで一般の仕事を探した」というのだが……。

 

「時給1千円の喫茶店のアルバイト面接で、履歴書も職務経歴書も書いたのに落とされました。ほかにいくつもの面接で不採用に。50代目前で、世間は甘くないと知った。もはや、映像業界にカムバックするしかないんだなと」

 

君塚さんは、バラエティ番組の10分ほどの再現ドラマを狙って、売り込みをかけた。

 

「病気で長いあいだ仕事できなかったことを伝え、過去の実績を見せたら、採用を決めてくれました」

 

そして打ち合わせとなったが、早速、AD(アシスタントディレクター)とトラブルが起きる。

 

「番組の方針になじめず、言われたことに対して『なぜそうなるのですか?』と、同じことを何度も何度も聞いてしまいました。それをADに叱責され、怒鳴り合いです。それでもプロデューサーはクビにしませんでしたが、僕のほうが途中であきらめて、投げ出してしまいました」

 

この時期は、こんな失敗例だけでなく、やり遂げて実績になった仕事もあり、一喜一憂していた。同時期、都内の蒲田から現在の横浜市鶴見区に引っ越している。

 

「蒲田の都会の喧騒に比べて鶴見区は緑が多く、自然に恵まれていて、すごく落ち着きました」

 

2017年ごろ、鶴見駅前を歩いていると、「悩みのある方、生きづらい方、お気軽にお立ち寄りください」という看板が目に入った。「就労移行支援事業所・にじ鶴見」と書いてある。

 

「直感で『僕を救ってくれるかもしれない』と思って部屋に入ると、代表の方が案内してくれました。そこには身体障害や知的障害をはじめ、さまざまな障害のある方が通っていたんです。障害者の就職を支援する団体があることを、初めて知りました」

 

同所の脊尾昌壮代表が、君塚さんとの初対面をこう振り返る。

 

「監督は、ものすごい勇気を出してドアをたたいたと思います。自己紹介や経歴を書いてもらい、話を聞いて、嘘じゃないとわかった時点で、私は思いました。『この人は、映画界に戻って活躍しなきゃいけない人材のはずだ』と」

 

君塚さんは同所で研修し、パソコンスキルのMOS4級を取得。なにより、なにかの障害がある仲間ができて、うれしかった。

 

「発達障害というものも、そこで認識しました。実際にADHDの人に会ってみて知ったことです。そして『もしかしたら僕も発達障害なんじゃないか』と、考えるようになりました」

 

そのころ仕事では「人の話を聞いてないでしょ!」「空気読めないよね?」と言われて、それが心に「刺さる」ようになっていた。

 

「一方、にじ鶴見に通うADHDの人は『注意欠如』で『多動』と診断されているのに、事業所では伸び伸びしているんですよ」

 

君塚さんは2018年から通う「ココカラメンタルクリニック鶴見」で、「僕はADHDかもしれないと思うので、テストしてください」と相談。精神科医の秋庭秀紀同院長が、そのときの様子を述懐する。

 

「チェックリストに記入後、ADHD診断の詳細な問診をしました。その結果『これまでの生きづらさは、ADHDの症状が要因だったのではないでしょうか』と、私は君塚監督にお伝えしました」

 

ADHDの人は日本に約300万人いるとされ、年齢や発達に比べて注意力が足りない、衝動的で落ち着きがないなどの特性があるとされている。

 

「ADHDは親の育て方や本人の性格、努力不足が原因ではなく、生まれつきのものと考えられます。大人になって初めて診断される人のうち、過去に誰かに指摘された経験や、ADHDの自覚がなかった人は、7割ほどいるといわれているんです」(秋庭院長)

 

自分がADHDだと告げられ、君塚さんはどう思ったのだろうか。

 

「それはもう『ああ、よかった!』という感じでしたよ。僕の“生きづらさ”は原因不明ではなかった。僕はADHDとわかったんです! 秋庭先生は『お薬を処方しましょう』と言ってくれました。これで『よくなる!』と思いました」

 

振り返る口調も、黒縁メガネの奥の瞳も生き生きしていた。

 

(取材・文:鈴木利宗)

 

【後編】映画で自身のADHDを公表 映画監督・君塚匠「映画を通じて差別をなくしたい」へ続く

 

画像ページ >【写真あり】君塚匠監督と書道家・水墨画家で妻の茂木千鶴香さん(他2枚)

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