■“王国作り”がきっかけで離婚寸前に
逮捕歴のある学生運動の元リーダーだった父と、歌手として活躍する母だから「自由と革命を大事にする家でした」とYaeは振り返る。
「幼いとき、母に『お父さんはなんで刑務所に入っていたの?』と聞いたんです。母は隠すことはせず『お巡りさんを殴ったから』と答えていました」
藤本さんは出所後、環境や食問題に取り組み、有機農業を普及するために大地を守る会を発足。
「父はよく『地球に土下座せなあかん。環境を守り、次世代にどういう地球が残せるのか』と語っていました。留守がちでイクメンとは言えませんが、子供たちの壮大な未来を見据えていたんですね。『楽しくなければ人生ではない』と言っていたように、いつも仲間に囲まれて、楽しそうに活動している父が好きでした」(Yae)
一方のおときさんは、紅白出場(1971年『知床旅情』)も果たした人気歌手。十分に娘たちとの時間が持てなかったが、Yaeの独特の感性には注目していたという。
「雨の日に保育園にお迎えに行くと、Yaeがどうしても長靴を履きたがらない。雨の中、子供だけ裸足はだしにすると虐待だと思われるでしょ。だから2人して裸足で帰ったのを、すごく覚えています。
雨といえば、雨を涙のようだと表現したりしますが、Yaeは『それは違う』と言う。『雨は冷たいけど、涙はあたたかい』と。なかなか面白い考え方をするなと感心していたんです」
Yaeが小学校にあがったころ、最大の両親の離婚危機があったという。鴨川自然王国の創設だ。ある日、藤本さんがYaeに「ふるさとが欲しいか?」と聞き、車で千葉県・鴨川に向かった。
「当時は高速道路がなく、東京から5時間もかかりました。その間、父は一生懸命、鴨川でやろうとしていることを伝えてくるんですね」(Yae)
藤本さんは、家族を連れて鴨川に拠点を移すつもりだった。しかし、大賛成だったおときさんは、急に考えを変えた。
「鴨川で蜂に刺されたんです(笑)。薬局まで車で30分もかかることで、田舎暮らしの大変さを実感。夜、鴨川から帰ると、彼は『疲れた』とさっさと寝てしまいました。そこから私は3人の娘の世話があるのに……。“これはマズイぞ”と思ったんです」(おときさん)
一緒に鴨川には行けないと伝えると、藤本さんが激怒。
「『鴨川に移ってからが、ボクの考える結婚生活。今までの結婚生活はボクのものじゃない』と言われたことは、ショックでしたね」
大揉めに揉めた結果、東京と鴨川の2拠点生活をすることに。一時は離婚を決意したが、夫婦危機のおかげで、数曲のラブソングも生まれたという。
「それに離婚って、やっぱりさみしいでしょ。しばらくサボるうちに、離婚せずに済んじゃったんです」
