■“命ある限り、女優を続ける”
2人は’67年に結婚。同年に制作会社「表現社」を設立し、日本映画史に残る名作を夫婦で共作。互いを「戦友」「同志」と呼ぶなど、芸能界きっての“おしどり夫婦”として知られていた。
「亡くなってからは毎日、生前の篠田の部屋に置いている仏壇に、その日あったことを報告するのが日課になっています。寝る前には、手を合わせて『今日もありがとう、おやすみなさい』と。
結婚して58年間も一緒だったものですから、仏壇から本当に篠田の声が聞こえる気がして。ざわついた心がすっと落ち着きます」
逝去から1年以上が経過してもなお、篠田さんの部屋は手付かずのままなのだという。
「愛着があって、遺品も全然捨てられないんです……。表現社のスタッフも形見分けに来てくれて、本や服などをたくさん持っていってくれたのですが、全然減っていない(笑)。
篠田は早稲田の箱根駅伝の選手の経験があるので、お正月には毎年駅伝の応援に行っていました。背中に『箱根駅伝』とプリントされたスタッフジャンパーがあって。すごく暖かくて、着ていると篠田がそばにいる気がするから、今年の冬は私がよく着用していました。
彼が愛用していたティーカップと万年筆も、今は私が使っています。生前、携帯やメモ帳などを入れるために毎日のように腰につけていた小さなポーチは、とりわけ愛着があるので、引き出しに入れて大切に保管しています」
篠田さんが亡くなって1~2カ月は全く何も手が付かない日々が続いたという岩下。時には栄養不足で「病院に点滴を打ちに行くこともあった」と彼女は語る。
だが、そんな長く失意のなかにあった岩下を救ったのは、篠田さんと共に作り上げてきた過去の名作映画の数々だった。
「昨年の夏ごろ、ある出版社から『篠田さんとの映画人生について、本を書きませんか』と声を掛けていただいたのです。当初は気力がなくてずいぶんと悩んでいたのですが、最終的にお受けすることに。
篠田と一緒に作った22本の映画を見返しただけでなく、脚本や当時の報道記事、篠田が執筆した本などもすべて目を通しました。
すると共に仕事をした日々のことを思い出して、少しずつ元気が出てきて。『私がこの本を作らなくては』という責任感も相まって、前向きな気持ちに戻ることができるようになりました」
同書は『同志として妻として』というタイトルで今年の夏ごろに出版が予定されている。
本の執筆は、岩下に対する篠田さんの願いと向き合う時間でもあったという。過去の作品を見ていると、篠田さんが残した“遺言”が何度も胸に去来したそうだ。
「結婚したとき、娘を出産したとき、篠田は折に触れて私にこう言ってくれました。『どんなことがあっても女優は辞めないでほしい。君は仕事をしているときがいちばん輝いているから』と。何十年も女優をやってきましたが、この言葉のおかげで何度も私は立ち直れた。
亡くなる直前に彼が骨折して入院したとき、テレビの仕事を降りようと思ったことがありましたが、そのときも病床から『お前は俺より10歳も若いんだ、頑張れ』と言ってくれたのです。
もし女優を辞めたらきっと篠田は悲しむと思う。執筆中、生前の彼が掛けてくれた言葉を思い出して“命ある限り、女優を続ける”という覚悟ができました」
岩下は昨年に撮影され、今年4月からNHKで放送されたドラマ『まぐだら屋のマリア』に出演している。そして、秋口にも出演作が予定されているようだ。
「タイトル・内容などの詳細は未定ですが、今年9月から全6回の連続ドラマに出演させていただく予定になっております。
仕事に関しては、もちろん篠田の仏壇にも報告して『どう思う?』って相談すると、『やってみなさい』って。もちろん実際に声が返ってくるわけではないのですが……。でも、私には確かに篠田の答えが聞こえました」
今後は「個性的な役や癖のある役を演じたい、たとえば万引き犯とか……」と語っていた岩下。最後に「いま、篠田さんに伝えたいことはあるか」と改めて尋ねると、彼女はこのように答えた。
「58年間、一緒に暮らしてくれてありがとう。映画史に残るようなたくさんの映画を私と一緒に創ってくれてありがとう。貴方は本当に才能のある素晴らしい人でした。貴方の妻になり、私の人生も幸せでした。心から感謝しています」
最愛の人を喪ってもなお、大女優の役者人生は終わらない。
画像ページ >【写真あり】13年、プライベートの旅行での岩下志麻と篠田さん(他9枚)
