「昔はレンゲなんてワンタンだけで、ラーメンにはついてなかったんだよ」そう語る店主の小林さん。銀座に出店した札幌ラーメンの店が、手に持てない重いどんぶりで提供を始めたのがレンゲのはしり。それまでは日本そばと同様、どんぶりを手で持ってつゆを飲むのが普通だったという。僕もやってみる。ゴクリ飲み込む。喉にまでスープの風味が広がる感じ。「だから面白いよ。今日は特別おいしいなと思う時は、みんなどんぶり持って下ろさない。そのうち持ったまま食べ出したりね」

 醬油で味付けというより、醬油の持つ旨みを生かすよう作られたスープ。そばで言うところの返しの容れ物は相当な年季。スープストックには常にフタがされ、どんぶりに注ぐ一瞬しか開けられない。「作り方は教えられない。オヤジに言われたんだ、『まるっきり同じの作られて、向かいや隣でやられたらどうする?』って」。

 オヤジこと先代の創業者・斧以(おのい)さんは、もとは新宿で日本そばの店を営み、昭和26年にまだ道路も舗装されてなかった笹塚に移転。既に3件、日本そばの店があったため、ちょうど流行り始めていた中華そばに鞍替え。それまで中国人のものだった拉麺を、日本人も作り、日本人も食べ始めた時代。「中国の食文化が理解できずに『鍋に豚の頭が入ってる』とかみんな怖がってたのを、新宿の「ホームラン軒」が変えた。戦後復興でみんな身を粉にして働いてた時代。油っけのない日本そばじゃ、物足りなかったんだね。動物性でパンチのある、一食でおなかいっぱいになるものが求められた。うちのスープも、昔はもっとしょっぱかったよ。塩分、働いて全部汗で出ちゃうから」。当時の労働者の移動手段は、自転車。笹塚近辺から八王子まで毎日往復していた人もいるという。「向こうについて配達が終わる頃には、もうまっ暗。これから東京に帰るのかと思うと、涙がポロポロ出たって。中学出たばっかりで。そんな業者さんもいたねえ

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