男性優位がはびこる医学界で女性脳外科医としての道を切り開き、脳内の1ミリに満たない血管を処置する手術で活躍する女性。その強靭なメンタルの背景とは――。
脳動脈にできたこぶ状の血だまり、脳動脈瘤。これが破裂すると「くも膜下出血」を引き起こし、死に至ることも少なくない。血管と脳動脈瘤の間の根元にチタン製の小さなクリップを挟み、破裂を未然に防ぐのが「クリッピング」と呼ばれる脳外科手術だ。高度な技術と集中力を要するこの手術のスペシャリストである女性が名古屋にいる。
「脳動脈瘤は同じように見えて、患者さん一人ひとりでそれぞれ特徴が異なります。実際に開頭してみたら、予想以上に手術が難しいという状況も少なくありません。細かい血管を間違えて傷つけてしまうだけで、運動まひや言語障害などの後遺症が起きてしまうこともあるのです。毎回、全神経を集中して行っています」
おだやかに語る表情からは想像できないが、藤田医科大学ばんたね病院の脳神経外科医・加藤庸子先生は、脳外科手術を週3回、年に100例以上こなす。通算手術数は3,000例を超え、これは女性の脳神経外科医としては世界一の数字だ。“脳外科医のゴッドマザー”。人は加藤先生のことをそう呼ぶ。
35年前、加藤先生が脳神経外科専門医になったとき、日本にはこの分野の女性医師は25人しかいなかった。まさに女性としてはパイオニア。そして、’06年に藤田医科大学教授に就任。脳神経外科の女性教授は日本初の快挙だった。
「決して腐らない。たとえうまくいかなくても、あきらめない。がむしゃらに医学と向き合ってきた結果が、いまの自分だと思います」(加藤先生・以下同)
バリバリの男社会で数々の困難を乗り越え、いまも極度のプレッシャーのかかる手術をこなす。そして患者さんとのコミュニケーションもおろそかにしない。そんなゴッドマザーの強靭なメンタルはどのようにして形成されてきたのだろうか。このほど『最強女性脳外科医 神メンタルの作り方』(主婦の友インフォス)を出版した加藤先生に教えてもらった。
■たとえ暴言をはかれても、へこまない
脳神経外科の医師といえば、いまも男性のイメージが強い。そのため「女性医師では不安だ」「女性はヒステリーを起こすから、男性医師に代えてくれ」などと、加藤先生はこれまで何度も、患者の心ない言葉に直面してきたという。
「悔しくて、若いころは泣きました。でも、患者さんと信頼関係を築かないまま手術をするのは得策ではないと割り切れるようになりました。もちろん愉快な話ではありませんが、そこで感情を爆発させて得になることはありませんから」
近所や職場でも、どうしても相性の合わない人はいる。そういう環境ではささいなことでトラブルになることもあるが、ときには自分のほうが割り切ることで、心の乱れを防ぐようにしたい。
■どんな場面でも「決して嘘はつかない」
加藤先生のゴッドハンドでも、開頭してみたら、術前検査時より血管の状態が悪化していて、手術は不可能というケースもある。
「開けたのに何もできなかったというのは医師として非常に悔しいものですが『無理でした』と、患者さんと家族に包み隠さず、伝えることにしています」
巧みについた嘘も、やがては見破られるもの。また、一度嘘をつくと、つじつま合わせのために嘘を重ねる悪循環に陥ってしまう。
「医師をしていると、つらい場面に直面することは避けられません。それを嘘でごまかさず、乗り越えるべき試練だと思うようにしています。そこから患者さんや家族と本当の信頼関係が築けるのです」
毎日、診察、手術と緊張の連続の加藤先生に、いちばんのオンオフの切り替え法を聞くと、予想外にもシンプルな答えが返ってきた。
■集中力維持には「15分間ボーッとする」を日課に
「午前と午後の間の休み時間に、診察室で、とにかくボーッとすることかな。そばにスタッフがいてもまったく気にせず『いまからボーッとするぞ』と、自分に言い聞かせることがコツ。心を無にして脳を休ませることで、集中力を1日維持できている気がします。そして、手術ではまた全神経をフル稼働。これからもひとりでも多くの患者さんを幸せにして、笑顔を見たいです」
男性社会の壁に直面しながら道を切り開いてきた脳外科医のゴッドマザー・加藤先生。一瞬のミスが命取りになる環境でも動じない心を保つ“神メンタル”の根本は、私たちの日常にも生かせる示唆に富んでいた――。