人生において訪れるさまざまな転機。なかでも“大きな病気”と向き合うには相当な覚悟が必要です。ここでは、「がん」を経験したことが、その後の生きる糧となった方のお話を紹介。葛藤の日々の先には“新しい私”との出会いがありました。
■矢澤亜希子さん(39)・プロフェッショナル バックギャモン プレーヤー
「試合中は病気の恐怖から逃れることができたから、ここまで続けてこられたのだと思います」
世界のプレーヤー数は3億人といわれる人気ボードゲーム「バックギャモン」で、2度、世界一に輝いた矢澤亜希子さん。その偉業を振り返り、「がんにならなければプロにもならず、世界一にもなれなかった」と言い切る。
バックギャモンとの出合いは大学時代。日本チャンピオンになるが、卒業後は会社員となり、「ギャモンは趣味」という位置付けになった。プロに転じたのは、腹痛や貧血などで通勤中にも倒れるほど体調が悪化し、会社を辞めざるを得なくなったから。「せめてギャモンを続けよう」という決意にいたるきっかけだった。
大きな病院で診察を受けても、長年、病名は判然としなかったが、’12年末に近所の病院で「子宮体がん」という診断が下された。
「『がんでは?』という予感はありました。やっと告知されたときは、ショックより『これで治療できる』という安堵が大きかったです」
ステージ3C。5年生存率50%という厳しい状況だった。
「仕事も辞め、子どもも産めなくなった自分に価値があるのだろうか、と最初は悲嘆にくれました。考えこむうちに『新しい私の価値を作れないだろうか』という思いが湧い上がってきたんです」
そのとき、真っ先に浮かんだのがバックギャモン。学生時代にチャンピオンになっているから、世界を目指せるかも、と思い立った。2つのサイコロを振り、36分の1の確率で出た目に従い、緻密にゲームプランを考える。「左右するのは実は運ではなく、どんな目が出ても決断すること」という矢澤さん。「バックギャモンは人生に似ている」ともいう。
抗がん剤治療の最中、’13年の世界選手権では部門別で優勝。翌年の総合優勝を目指すため、ウイッグをかぶり、アメリカ各地で武者修行もした。そしてついに’14年、初の優勝を果たした。
「試合中に病状が出るピンチもありましたが、『これで勝てたらがんにも勝てるかな』と思いました」
術後5年の節目である’18年には2度目の優勝を飾った。がん闘病は終えて、矢澤さんのバックギャモン人生は続いていく。
「女性自身」2019年12月24日号 掲載