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100歳以上の割合が高く、80代、90代が自立して生き生きと暮らす町。その秘密は生活環境にあり。昔ながらの食生活が守られ、腸内環境が整っているのも大きな理由とかーー。

 

日本は世界でトップクラスのご長寿大国だが、なかでも今、100歳以上の“百寿者”がたくさんいる京都府北部の町、京丹後市に注目が集まっている。

 

京都駅から特急で2時間半、丹後半島にある海沿いの町で、漁業と江戸時代から続く丹後ちりめんが有名。人口あたりの“百寿者”の比率が全国平均2.8倍(’16年時点)で、男性の長寿世界一として木村次郎右衛門さん(’13年没、享年116)が過ごしたことで知名度がアップした。

 

「同じ京都とはいえ、海に面しているので海藻類をよく食べるなど、昔から地域に伝わる食生活は独特です。また、京丹後の人がすごいのは、長寿だけでなく、自立した生活を送る健康長寿も長いということ。まわりに100歳の高齢者たちが元気で暮らしているので、90代は珍しい存在ではないし、80代の方たちはあちこち痛いと言いつつも、『100歳の人が頑張っているから自分ももっと頑張る』と、励みにして生活されています。子どもに頼らず、自分のことは自分で行っているのも、健康寿命を延ばしている要因のひとつだと思います」

 

そう話すのは、京都府立医科大学大学院医学研究科循環器内科学の的場聖明教授。

 

「なぜ、京丹後市には健康長寿の高齢者が多いのか?」、その秘密を探るべく、同大学では2017年から、市立弥栄病院と共同で、京丹後地域(京丹後市、宮津市、与謝野町、伊根町)に暮らす65歳以上の住民を対象に、職業、学歴、日常生活、食事や睡眠時間、血液検査、血管年齢など、2,000項目を調査し、15年間経過観察をする「京丹後長寿コホート研究」に取り組んでいる。ビッグデータを解析したうえで、平均寿命が短い“短命県”の青森県・弘前市など、ほかの地域で暮らす高齢者のデータと比較しながら、健康長寿の秘訣を分析している。

 

その研究のなかでわかったことは、京丹後の高齢者は、(1)血管年齢が全国平均と比べて若い、(2)大腸がんの罹患率が京都市内の半分、(3)寝床に入ってから眠りにつくまでの時間が短い、などといった特徴だった。

 

「特別な遺伝子は見つかっていないので、食事や生活習慣によるもの、と考えています。ということは、その習慣を取り入れれば、私たちも健康で長生きできる部分があるといえるのではないでしょうか。血圧が高かったり、大病したり、年相応に病気をしたとしても、その後、回復して元どおりの生活を送られる方もいらっしゃるんですよ」(的場教授)

 

実際に、ご長寿さんはどんな暮らしをしているのか。90代のご夫婦を訪ね、食生活を中心に話をうかがった。

 

「家内のつくる料理を食べて、最低8時間は寝て。よく眠れるということが健康の秘訣。今日はあんたらが来るというから、張り切って10時に起きた。はははは」

 

そう高笑いするのは、東理代吉さん(94)。今も学習教材を扱う現役の営業マンだ。25歳で世津子さん(90)と結婚し、26歳で書店を開業してから約70年もの間、二人三脚で店を切り盛りしてきた。4人の子どもが巣立ってからは夫婦2人暮らしだが、のんびり縁側でくつろぐ、などということはいっさいなく、起きたら寝るまで働きどおしだ。

 

そんな体力勝負の毎日。元気の源は食事だ。世津子さんが作る昼ごはんには毎日、健康につながる食材“まごわやさしい”がふんだんに使われている。取材で訪ねたこの日のメニューは、納豆、ごはん、大根の葉のおひたし、いり卵、じゃがいもやキャベツ、しいたけなどが入った具だくさんのみそ汁が食卓に並んだ。

 

「『ま』は豆で、毎日納豆を食べます。『ご』はごまで、おひたしにかけて。『わ』は、京丹後でとれる特産品の板ワカメ。細かく刻んだものをごはんにかけても、いり卵に混ぜて食べてもおいしいですよ。タンパク質はこの卵で補っています。『や』は野菜、『さ』は魚、『し』はしいたけなどのきのこ、『い』はいも類。みそ汁に野菜やきのこ、いもを入れ、煮干しも加えますが、『さ』の焼き魚は別につけます」(世津子さん)

 

こうした世津子さんのアイデアで、食材がまんべんなく取り入れられている。

 

「100歳近くまで生きた私の父が『ようけ食いすぎたらあかん、わしは腹6分目』とよく言っていました。よう働いてしゃべっていると、食ったり飲んだりしているひまはないねぇ」(理代吉さん)

 

生活習慣病とは無縁の食生活のおかげで、理代吉さんの健康診断の数値は基準値内。ただ、おととし、腹部大動脈瘤が見つかる事態が起きた。

 

手術に踏み切ったのは、主治医の「理代吉さんの血管年齢は90代とは思えない若さなので、十分に可能」というひと言だった。退院してから寝たきりにならなかったのは、“ずっとバリバリ働きたい”という仕事への意欲だった。

 

次男の正彦さんが言う。

 

「じつは、お袋も’18年3月に突風にあおられて転び、脳内出血と左手の複雑骨折という大ケガを負っています。2カ月半、入院生活を送るも介護が必要にならなかったのは、仕事のおかげでしょう。奇跡的に回復してから、ベッドの上でお客さまからの注文を取って仕事をしていた(笑)。右手は動くので、ペンを走らせていたのが、いいリハビリになったようです」

 

理代吉さんは’59年から9期、町議を務めたこともあり、今も地域活動に熱心。世津子さんも、地元住民の戦争体験記や丹後の女性史をまとめて出版している。

 

「目標を持ち、世のために尽くしたいと思っているから、体も共鳴しているんだと思います」と、理代吉さんが話すように、地域とのつながりを大切にする気持ちも、長生きの秘訣のようだ。

 

「女性自身」2020年2月25日号 掲載

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