花粉の飛散が落ち着いたかと思ったら、今度は黄砂に覆われている日本列島。共に人体へ悪影響を及ぼすものとして知られているが、じつは私たちの健康を脅かす大気中の物質はほかにもある。「PM2.5」と呼ばれている微小粒子状物質だ。
PM2.5とは…大気中に浮遊する小さな粒子のうち、大きさが2.5μm(1μm=1mmの千分の1。直径が髪の毛の太さの約30分の1の大きさ)以下の非常に小さな粒子。物の燃焼や、大気中で排ガスや化学物質が光化学反応を起こすことなどで生成される。
今年4月、医学専門誌・ブリティッシュメディカルジャーナル誌の電子版に「PM2.5と認知症リスクに関連性がある」という衝撃的な解析結果が発表された。直径が髪の毛の太さの約30分の1程度の粒子が脳にどんなダメージを与えるというのか。認知症の治療研究の第一人者であるお茶の水健康長寿クリニックの白澤卓二先生に聞いた。
「この論文は、過去に発表された7つの研究のデータをまとめ、解析したものです。結論としては、PM2.5の曝露量が1立方mあたり2μg増加すると、アルツハイマー型認知症のリスクが4%上がるというものでした」
PM2.5が多く計測されるのは大気汚染が深刻な地域だ。世界では中国、インド、パキスタン、ネパール、サウジアラビアなどで「健康に有害なレベル」の非常に高い計測値を記録している。
日本でも日本気象協会が「PM2.5分布予測」というウェブサイトで日々の飛散レベルを発表しているが、黄砂の影響なのだろう、西日本は東日本より高めの予測が出ている。特に今の時期、PM2.5は黄砂に付着し、呼吸を通して体内に入り込んでくる。
PM2.5はこれまでにもぜんそくや気管支炎などの呼吸器疾患、肺がんのリスクが上がることなどが懸念されてきた。さらに長期的に見た場合、認知症の発症リスクとも関係しているとなると、心中穏やかではいられない。
「’20年に発表された論文では、アメリカで65歳以上の『アミロイドPET』という脳の検査を受けた1万8178人を追跡して分析し、かなり具体的な結果が掲載されました。この調査では、脳にアミロイドβが多い人と大気汚染区域に居住していることに相関性があることがわかっています」(白澤先生、以下同)
アミロイドβとは、脳内で作られるタンパク質の一種。正常時には炎症や栄養不足、毒素から脳を守る働きをしている。
「私たちの体は、脳内に異物が入ってくると、脳を異物から防御しようと、アミロイドβをどんどん産生します。ところがこれが増えすぎると、“脳のゴミ”となってしまうのです」
正常な脳であれば、ゴミの掃除も常時行われるが、体が老化したり、新陳代謝が落ちたりすることでゴミがたまりやすくなる。これがアルツハイマー型認知症を発症させる要因になると考えられているのだ。
「人間の脳が自分を『守らなきゃ、守らなきゃ』と頑張った結果、ミイラ取りがミイラになる事態を招くイメージです」
では、このアミロイドβがたまりやすい大気汚染区域とは具体的にどのような場所だろうか。
「前述の論文では、ニューヨーク、ロサンゼルス、シカゴといった大都市とその近郊に住む人にアミロイドβがたまっている人が多いと解析されていました。大都市は排ガスやPM2.5などによる大気汚染が発生しやすい。そうした地域に住む人はアルツハイマー型認知症発症のリスクが高くなるといえるでしょう。日本でも自動車の排ガスが多い都市部や、工場のばい煙が出る工業地帯は特に注意が必要です。また、海の海塩粒子や、森林火災による煙、火山排出物など、自然起源のPM2.5も多く存在しているため、山間部や海沿いなどの地域でも油断はできません」
PM2.5による認知症リスクを避けるために、私たちにできることはあるのだろうか。
「率直に言うと、大気汚染をできるだけ避ける、つまり離れるということしかありません。というのもPM2.5と脳の関係について研究でわかっているのは、『生涯でどれくらいの時間と量、曝露するかが関係している』ということだけだからです。ですから、PM2.5への対策は、『曝露を避けること』に尽きます」
とはいえ、自宅付近の排ガスが気になる場合でもそう簡単には引っ越しもできないし、空気を吸わないわけにもいかない。そういう人は空気清浄機を使うのがいいそうだ。
「私のクリニックも都心にありますから、簡単に引っ越しはできません。最近はPM2.5を除去してくれる空気清浄機も多くあり、私はオフィスと寝室に設置しています。この2カ所は一日の中で最も滞在時間が長い場所ですから。とにかく曝露時間を少しでも減らすことが大切です」
そのほかにも有効な対策はある。前述のウェブサイト「PM2.5分布予測」に加え、環境省大気汚染物質広域監視システム「そらまめくん」では都市ごとの細かい数値がリアルタイムで確認できる。それらをもとにできるだけ、PM2.5飛散値の高い場所には足を運ばない、飛散が多い日は外出を控えて洗濯物も外に干さない、外出時はPM2.5に対応するマスクをつけることなどを心がけよう。
大気汚染の曝露は私たちにとっては不可抗力の部分もある。まずは個人でできる対策を講じ、できるだけリスクを減らそう。