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2015年8月末。宮城県石巻市田代島の仁斗田港に、「こっち、こっち!子猫が、“すのこ”の下で衰弱してる!」という女性の声が響き渡った。小雨がそぼ降る、少し肌寒い夏の終わりの午後のことだ。

 

声の主は、ドイツ在住の獣医師、クレス聖美先生(62)。4年前の東日本大震災の後、彼女は2カ月に1度、この島にやってくる。この島に暮らす猫たちに、ボランティアで医療を施すためだ。すでに来島数は30回を超えた。

 

田代島は、石巻から網地島ラインという船で約1時間。歩いて2時間ほどで一周できる小さな島で、今は学校も病院さえもない。人口約60人に対して、猫は120匹以上。テレビの情報番組でも“猫の島”として紹介され、震災前は年間1万人以上もの猫好きたちが訪れた。4年前の大きな地震と津波で、残念ながら島民1人が犠牲になったが、猫たちは山に逃れて、ほとんど無事だった。

 

この島の漁港は、津波で大きな打撃を受けたため、猫たちも毎朝もらっていた魚にありつけない日々が続いた。その後、全国の人たちからの寄付で、ようやく漁港も復活の兆しを見せ始め、今では猫たちのエサも、寄付金の一部で賄えるようになった。

 

クレス先生が、初めてこの島にやって来たのは、あの大きな地震と津波がこの島を襲った2011年3月から、わずか5カ月後の8月のこと。ドイツで小動物病院を開業しているクレス先生は、自宅で震災の様子を目にし「獣医師として、なにか手助けができないか」と、考えた。

 

「私も大の猫好きで、以前から田代島には行ってみたかったんです。だから、田代島の猫が心配で」(クレス先生・以下同)

 

その年の8月にこの島にやって来て以来4年間、ドイツから2カ月ごとに、欠かさず田代島に通い続けている。今では、島民たちから信頼されているクレス先生だが、最初は「どうせすぐ来なくなるんだろう」と、冷ややかな目で見られていた。だが、2年ほどたったころから「この人の熱意は本物だ」と、島民から認められるようになった。

 

そんなクレス先生の持ち前の行動力と粘り強さは、彼女の過去をひもとけば納得だ。クレス先生は北海道大学の獣医学部を卒業したあと、’79年にペット先進国のドイツで獣医師の職を探すため、片道切符だけ買って飛行機に飛び乗った。渡独以来4年間は、一度も日本に戻らなかった。

 

しかし、クレス先生のそんな情熱や動物に対する愛情を、猫たちは知るはずもない。病気やケガをした猫たちを捕まえては治療する彼女の姿を見つけると、一度でも治療で注射を打たれた猫たちはササ〜ッと逃げていく始末。

 

「獣医なんてそんな役回りよ。こんなに猫が好きなのに、嫌われちゃうんだから」

 

家猫の寿命は10年以上だが、田代島の猫は平均3〜4年。子猫は、10匹産んでも残るのは1〜2匹だ。「ノラ猫に延命処置をしたら、増えすぎて困るのではないか」という声もあるそうだが、クレス先生は延命処置をしているわけではない。

 

「過酷な環境のなかで生きる猫たちだからこそ、せめて命ある間は、少しでも痛みや苦痛を和らげてやりたい」

 

それが、クレス先生がこの島に足を運び続けるいちばんの理由だ。

 

「救える命もあれば、救えない命もある。私が獣医師としてこの島でできることは、ほんとうに小さなことなんです」

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