40年以上の都内にある一軒家。3人の男女がおしゃべりをしている。その家主……というより、管理人がpha(ファ)さん、33歳。職業は無職。定職には就かず、月収は数万円。京都大学を卒業後、大学職員を3年で辞めて以来、ニートを自称して生きている。今年8月には書籍『ニートの歩き方』を出版した。おそらく日本でいちばん有名なニートだ。イベントに呼ばれることも珍しくない。

「本当は”だるい”んです()。基本的には昼ぐらいに起きて、ネットをしたりゴロゴロして、ご飯を食べて、またゴロゴロして、眠るような毎日です()

という彼が、管理人を努めているのがこの『ギークハウス』。ニートになったファさんが2008年に立ち上げたシェアハウスの一種だ。ギークとはアメリカの俗語で「卓越した知識がある」という意味で、転じてIT系などの技術オタク、ときに「社会と適応できない者」を示すことも。

ファさんは19781231日、大阪府生まれ。好きなのは本やゲームで、将来の夢も「なりたいものがあるっていうほうが不思議。暇つぶしで勉強していたら」成績がよくなってしまったそうで、京都大学に合格。2年目から学生自治寮に入り、たぶん人生で初めて居心地のよさを感じたという。

「僕は受験勉強はできたかもしれないけど、働く気力とかもない”ダメ”なほうの人間。だから、ダメ人間の吹き溜まりみたいなその場所が、すごく居心地がよかったんです」

そんな生活を2年間余計に楽しんだが「もう限界かなーと思い」国家公務員試験を受け国立大の職員になった。しかし「みんなが普通にできることでも、僕には苦痛でした」という。自分に向いている世界を求めてタイに渡り、そこで見たのはさまざまな国の、さまざまな人の生き方。それは自由すぎるものだった。

「働いていた大学がバンコクに事務所を持っていて、異動届を出したら通っちゃいました。タイには、ヨーロッパの若い人で、大学を卒業して23年世界を旅していたっていう人がたくさんいて」

ファさんは大学の後輩を2人、自殺で亡くしていた。1人は在学中、1人は大手企業に就職してから激務に悩まされた末のこと。「それを聞いてすごく悲しかった。仕事で命を失わなきゃいけないはずはない。すべてを捨てて逃げていいはずです」それができずに死を選んだ後輩と、タイで自由に生きる人たちを、対比せざるをえなかった。

仕事を辞め、日本に戻り、京都のシェアハウスに。1月後、東京へ向かいシェアハウスを転々とする

「シェアハウスもいいんですけど、元気というか、人と交流しよう、コミュニケーションしよう、みたいな人が多くて。今度は拠点がほしくなったんです」

あの寮のような空間があれば。ネット好きのためのシェアハウスが欲しい。ファさんが思いを書き込むと、賛同者が現れた。’08年夏、少し年上のプログラマーの男性が南町田の3LDKを提供してくれた。同居人をやっぱりネットで募る。一般的なシェアハウスとの違いを表すために掲げたコンセプトが『ギークハウス』。同居人は、2ともプログラマーだった。

こういう暮らし方もあるんだと確信を得て、’10年、現在の地に移る。リストカットを繰り返していた少女・なほるちゃんは、ギークハウスに出合って変わった。「みんな干渉しないけど、優しかった。私みたいなダメな人間でも生きていけるかもって、初めて安心した」(なほるちゃん)

ファさんが願うのはただひとつ。「自殺しないでほしいなーって。僕がアドバイスをすることなんてないけど『居場所』」は用意していたい。こんなダメな人たちが、普通に生きてるって()

ファさんは自分なりに快適な生き方を、懸命に模索してきた。これは、いまどきのサバイバル術だと言えよう。「僕は弱い人間なので、あのまま仕事を続けていたら精神を病んで死んでいたと思うんです。でも、自殺より、まだ試していないことをやろうと思った。そうやって逃れて逃れて、心地よく生きられる場所を探したんです」