パンダ熱に火がついた私は、イギリスの文献に「西暦685年、日本の天皇へ贈り物としてパンダを2頭、船に乗せた」と書かれてあることを知り、週刊新潮の掲示板で情報を募りましたが、情報提供は皆無。飛鳥時代に日本にパンダが来ていたのかどうかは、いまだわからずじまいです。恐らくガセネタというものでしょう。
’71~’72年、ニューヨークに住んでいたとき、ニクソン大統領が中国から子どものパンダ、リンリンとシンシンをもらって帰ってらっしゃいました。ワシントンに見に行ったら、外に大きな箱が置いてあって、漢字で「中米友好記念贈呈」と書いてあったんです。うらやましいなぁ、日本もこうなるといいなぁと思いました。鑑賞時間はわずか30秒、このとき奇跡が起きました。私が境界ガラスのそばまで近づくと、リンリンもすぐそばまで近づき、ガラス越しに私にキスしてくれたのです。私はうれしくて見ず知らずの方にカメラをお渡しして、撮影していただきました。ところが、ほどなく日本に帰国したら、田中角栄総理が訪中って騒いでいて、私は首相官邸に電話しようかと思ったんですよ。もし毛沢東さんが「大熊猫(パンダの中国語)あげます」とおっしゃったら、「そんな大事なものを」と、珍獣中の珍獣だってことを理解して受け取ってほしい、と言おうかなぁと思ったんです。でも政府の方に知り合いもいなかったし……。そうしたら、案の定、大平正芳外務大臣が「それは熊と猫の中間みたいなものですか?」みたいなことをおっしゃったと新聞に書いてありました。やっぱり言っておけばよかったなって悔いが残りましたね。
’72年10月28日、日本に初めてのパンダ、ランランとカンカンが来日しました。私はドラマの影中でしたが、我慢しきれず、「ちょっと用事が」なんてリハーサルをごまかして、上野動物園の裏手で待っていたんです。トレーラーに乗せられ、羽田空港から時速40キロくらいでやってくると報道されたので、到着時間を計算して待っていたんです。夜8時くらいかしら。ねずみ色の大きなコンテナが運ばれてきました。姿は見えなかったけれど、うれしくて「わーっ」と叫びました。それから6日後の11月3日、パンダの贈呈式があり、私もお招きいただきました。まずカンカンが出てきて、次にランランが出てきました。ワシントンのリンリンとシンシンは、男の子のシンシンが内気で、女の子のリンリンが活発。日本はその逆でカンカンが活発、ランランは内気。顔も違っていて、ランランはちょっと寄り目、カンカンは離れ目でした。かわいかった!
中国のいちばん偉い動物園の方に紹介していただくと、「この間の夜、外にいたでしょう。好きなんですね」とニコニコしていらした。上野動物園の方にも「来ていましたね」と言われ、みなさん「本当にパンダが好きなんだな」と思ってくださったに違いありません。その後のパンダ・フィーバーは大変なもの。日本でもパンダは一気にメジャーな動物になりました。来日からしばらく、私は毎日のように上野にパンダを見に行っていました。そのころ、動物園のご好意でカンカンに会わせてもらったんですね。するとカンカンが私のところに寄ってきて、やさしく私の頭に手をのせて、“いい子いい子”してくれたんです。ほんとにパンダはやさしい動物なんだなぁって思いました。パンダって神秘的なんですよ。野生動物なのに、朝、飼育員さんが起こしに行かないと、ずっと寝てるんです。30分ぐらいは起こさないとダメなんですって、寝ぼけてて。
そして、パンダはとても心やさしい動物です。あるとき、誰かが野生のパンダを撃ったら、パンダは襲ってこようともせずに、悲しそうに撃った人を見つめて、静かに死んでいったそうです。これも聞いた話ですが、ビスケットをパンダにあげたら、パンダはそれを半分に割って、池のそばにいたアヒルにあげたっていうんです。イギリスの動物園です。