(撮影:下村一喜) 画像を見る

日本パンダ保護協会の名誉会長を務める黒柳徹子さん。幼少期からパンダを愛し、研究を続けてきた、パンダへの愛にあふれた方です。パンダ愛について、存分に語ってもらいました。

 

私は子どものころからパンダを研究していました。私がまだ小学校低学年のころ、報道カメラマンをしていた叔父がニューヨークからおみやげにパンダのぬいぐるみを持って帰ってきてくれてからです。中国から初めて海外に生きたパンダが行ったのがアメリカなんですね。スーリンと名付けられたパンダが、アメリカ中の人をとりこにして、アメリカでパンダブームが起こっていました。街にはパンダグッズがあふれていたそうです。今でもそのぬいぐるみは持っています。ボロボロですけど。

 

戦争中も私はリュックに入れて持ち歩いていたんです。戦争は悲惨でした。父も出征し、東京も毎晩空襲があったので、私は毎日ぬいぐるみと一緒に避難していました。小さなリュックに閉じ込められているのがかわいそうで、朝晩出したり入れたりを繰り返す私に、「見ているだけでも大変だから、おもちゃは入れたままにしておけば」と、母はあきれ顔でした。

 

東京もいよいよ危ないと青森に疎開。そのリュックの中にも、パンダは忍んでいました。しばらくして東京の家が焼けたと風の便りに聞きました。父にもらった中国みやげのクマのぬいぐるみは焼けてしまいましたが、パンダのぬいぐるみだけは青森で生き延びたのです。

 

実は、このぬいぐるみを一度洗ったことがあります。ドロドロになってしまったので、洗って玄関のそばの窓のところに干しておいたのに、帰ったらなくなっていました。母に聞いたら、「捨てたのかと思ったわ。あんまり汚いから」。私は慌てて外に飛び出しました。電信柱のところにゴミと一緒にまだありました。以来、ずっと一緒で今も手元にあります。

 

次ページ >ロンドンでパンダと感動の初対面

【関連画像】

関連カテゴリー: