(写真・神奈川新聞社)
戦火を知る人は年を追うごとに減り、語り継ぐことは難しさを増している。それでも、いやだからこそ、伝えていかなければ-。大きな節目を過ぎ、世間の関心が薄れつつある71年後の夏。戦争を知らぬ子どもたちが関心を寄せるきっかけをどうすればつくれるのか。世代間のギャップを感じながらも、自らの体験を、ありのままの事実を知らしめようと、各地で模索が続く。
「『八月や六日九日十五日』という俳句がある。平塚市内の小学6年生に対する講演でこの句を紹介すると『あ、足し算だ』と言われる。今の6年生にとって戦争ははるかに遠い、大昔のこと」
7日、寒川町で開かれた平和フェスティバルでの講演。「平塚の空襲と戦災を記録する会」会長の江藤巌さん(83)が自身の経験を明かした。「戦争を知らない世代にどう伝えるか」に腐心するが、現実は思うに任せない。
「戦争って何分で終わるんですか」。小学生にそう尋ねられ、面食らったこともあるという。「ミサイルを撃ち込まれたら、15分で日本はなくなる」と思わず答えたが、時代の隔たり、社会背景の違いを感じざるを得ない。「ゲームと同じような感覚なのだろうか」
被爆体験を語り継ぐ川崎市折鶴の会は3年前、あらためて証言集を作り、市内約180の小中高校に配った。だが、「その後に講演を依頼されたのは1校のみ」。会長の森政忠雄さん(82)は「被爆者の高齢化が進み、体験を話せる人が少なくなったことに焦りを感じている。だが、それ以上に学校からの協力要請がない」ともどかしさを口にする。
今月14日に講演を予定しているが、「戦争の悲惨な部分だけを話すのは簡単。でも、日本が侵略したことまで理解してもらい、戦争しないための教育にどうつなげていくかだ」と直面する課題の大きさを痛感している。
寒川町の平和フェスティバルでは、子どもたちに平和の尊さを分かりやすく伝えようと紙芝居や腹話術も企画したが、子どもは期待したより少なかった。実行委員長を務めた小笠原弘昭さん(72)は率直に言う。「若い世代に継承するのは本当に難しく、どの団体も悩んでいる」